LAND COMFORT 加藤ブログ

ランドローバーを運転していると時間がゆっくり流れているように感じます。

ランドローバーを運転すること、ランドローバーのある生活、ランドローバーと過ごす時間、それらは全てとても心地良いこと。
「LAND COMFORT」とは、そんなことを考えながら出来上がった言葉です。

休日の今日は、ちょっと昔話を。
20代のころ、AE86に乗っていた。ある日クーラーが効かなくなった。原因はコンプレッサーの焼き付きだった。
AE86もそうだが、多くのFR車の場合、エンジンのレイアウトの関係上コンプレッサーは前輪の車軸よりも前側、フロントオーバーハングの範囲内に配置される。前後オーバハング内の重量物はスポーツカーとしての運動性能を著しく低下させることは理屈上知っていた。だからミッドシップ(MR)が効率的なのだと。
それを踏まえたうえで、更に言えば修理費用が出せない現実とも真摯に向き合い、私は焼きついたコンプレッサーを取り外す決心をした。単体でも10kg前後はあるであろう重量物である。ラジエターと重なるように車体先端に配置されているコンデンサーや電動ファンや、細かなものではレシーバーやホースなど、エンジンルーム内のクーラーに関する全てのパーツを取り外した。プレステのグランツーリスモ風に言えば、軽量化チューン・ステージ1である。
その効果は?!暑さと引きかえに得られた歓びは十分にあった!特にコーナリング時の軽快な事といったら、冗談抜きで笑いが止まらなかったほど。しかし、真夏の暑さもハンパじゃなかった・・・。朝は気温が上がるまえに出社をし、帰りは会社で水を十分に掛けて洗車をしてボディーの温度を下げてから帰路につく、そんな生活をしたものだった。
楽しかった!懐かしいけど、あれから多くの快適さを知ってしまった現在ではもうそんなクルマは無理だなあ〜。
レイブリック加藤ブログ

一昨日のクーラー構成図をもう一度引っぱり出してもらい、その解説をしながら続きの話を。

その前にフロンについて。フロンという言葉はみなさんきっと聞いたことがあると思う。地球温暖化で問題になっているフロンである。クーラー回路には冷媒としてフロンが使われている。これは自動車に限らず、家庭用エアコンや冷蔵庫も同じである。冷媒には何故フロンが適しているか?という科学的な話は理解できていないのでご勘弁を・・・。とにかく、フロンを冷媒として使えばとても冷えるというとことから話をはじめさせていただこうと思う。

フロンの回路は循環しているのだが、ここではスタート地点をコンプレッサーとする。エンジンの回転をベルトで導くことでコンプレッサーは作動している。コンプレッサーで圧縮されたフロンは液体となる。できるだけ効率よく圧縮するためにコンデンサーで冷やしながらギリギリまで圧縮をする。圧縮された液体フロンがエキスパンションバルブで開放されることで気体となって一気に温度が下がる。それはエバポレーター内に噴射され、ラジエター形状のエバポレーターそのものを冷やす。ブロワファンによって導かれた空気を強烈に冷やされたエバポレーター導き、隙間を通すことで冷気を作り出すのである。役目を終えたフロンはコンプレッサーに戻り、再び圧縮されるという循環である。
レイブリック加藤ブログ
これはエバポレーターとブロワファン部分の拡大図。ブロワファンによって導かれる外気は、花粉や埃、虫などが入り込むことを防ぐための「ポーレンフィルター」を通過してくる。(ポーレンフィルターが存在しないクルマもあるが) 砂や埃の多い地域ではこのポーレンフィルターが詰まりやすい。フィルターが詰まれば、当然のことながら吹き出し口からの風は弱くなるり、クーラーの効きも悪くなる。使用環境によってフィルターの汚れ具合いは多きく異なるので、こればかりは適時点検をするしかない。

クーラーの構造は自動車も家庭用も基本的に同じ。冷蔵庫もそう。ところが、家庭用クーラーや冷蔵庫ではガス漏れの故障はほとんどない。私自身は経験したことはない。しかし、クルマでは決して珍しいことではない。最近でこそガス漏れは減ったが、ランドローバーではほんの十数年前までは夏の風物詩といえるほど頻繁に起きたものだった。
ではなぜ自動車用クーラーだけ漏れが発生するのか?原因は二つあると私は考えている。ひとつは、置かれている環境。クーラーの構成部品の多くはエンジンルームにある。エンジンルームの温度は、100℃前後にまで上がることがある。そもそもエンジンの冷却水が90度前後で推移しているので気温と比べものにならないほど高温なるのは当然である。そんな過酷な場所にクーラーの構成部品のいくつかは存在する。なので構成パーツの劣化が早まることもやむを得ない。また、走行によって付着するゴミや虫などが原因でパーツの腐食が進むこともある。
もうひとつの原因は、冷媒回路の一部にゴムホースが使われていること。コンプレッサーはエンジンに対して固定されている。しかし、その他の構成部品はシャシにある。エンジン始動中はエンジンはブルブルと震えている。その振動を吸収すべく、エンジンはラバー製のマウントを介してシャシに載せられている。つまり、コンプレッサーへ繋がる冷媒回路はフレキシブル性が必要なのである。そのために一定部分だけではあるが回路にゴムホースが使われている。そのゴムホースの硬化などによって気密が保たれなくなる部分が発生する。家庭用エアコンや冷蔵庫にはゴムホースは使われていない。銅や真鍮、アルミニウムなどの金属製のパイプが使われている。だから漏れる可能性のある場所が限りなくゼロなのである。
このことを理解すれば、自動車のクーラーに不具合はつきもの!と、思えるようになるのである。(笑) 
また、ゴムホースから自然に漏れるという説もある。子供の頃に遊んだゴム風船。膨らまして口をしっかり結んでも、やがては萎んでしまう。ゴムの組織の間から空気が徐々に抜けていってしまうのだ。これは故障ではなく、自然の摂理である。同様にクーラーガスも徐々にではあるが漏れていく可能性もある。私ぐらいの世代以上の方ならきっと経験があると思うが、昔は数年に一度はガスの補充の必要があった。ガソリンスタンドでも日常的にクーラーガス補充のサービスが行われていた。

クラシックレンジローバー時代は、ガス回路のほとんどが金属製パイプではなくホースで繋がれていた。最近のクルマではほとんどがパイプとなり、振動吸収のためのやむを得ない部分に限りフレキシブル性のあるホールが使われる。そのため、漏れのリスクは格段に減った。
レンジローバークーラー

私が自動車整備に携わるようになったのは1990年のこと。トヨタ車のディーラーに勤めていたのだが、当時のトヨタ車は車種によってはまだクーラーがオプション扱いだった。もっとも名古屋地区でクーラーを装着されないクルマは私はほとんど見ることはなかったが、きっと北海道など夏でもそれほど暑くない地域ではクーラーをオプション装着されないケースもあったのではないかと思う。まだそんな時代だった。
今日からしばらくはクーラーについてのお話を。クーラーの話はきっと長くなると思うので。

まず、「エアコン」の定義について。自動車に限ったことではないが、空調は大きくクーラーとヒーターに分けられる。名のごとく、冷やすためのシステムと温めるためのシステム。クーラーは単に冷やすだけではなく、除湿の効果もある。それらをうまく組み合わせると、除湿された温かい風を作り上げることもできる。それがエアコンだと私は理解している。あるいは、「今、クーラーが働いているのか、あるいはヒーターが働いているのか?」それはクルマ側にお任せして、ただ希望する適正温度や湿度の風を出してくれればよい!そんな合理的なシステムと考えてもよいだろう。最近ではオートエアコンが主流で、目標温度を設定することであとはクルマが勝手にやってくれる、エアコンとはすっかりそんなものになっている。
ただ、構造的には、内部は必ずクーラー部分とヒーター部分で構成されているのである。そして今回取り上げるのは季節柄「クーラー」についてである。

まず、(超)簡単にクーラーのシステムを表したものを見ていただこう。
レイブリック加藤ブログ
私が「クーラーの要」と考えるのは図の右上にあるエキスパンションバルブである。息を吐くとき、口を大きく開けて"は〜"とやれば体温に近い暖かい風となる。冬場に凍えた手に吹きかけるときはそうするだろう。逆に、涼しい風にするときは唇をすぼめて小さな口にして勢いよく"フ〜"と吹く。口を小さくすればするほど、また勢いよく吹くほど涼しい風になる。これがクーラーの原理であり、その役割を担っているのがエキスパンションバルブである。
あるいは、最近街中でも時々見かけるようになったが、ミストなんかも同じ原理である。あれはそもそも冷たい水を噴射しているのではなく、小さい口から噴射されることで水が解き放たれて霧状となって冷えているのである。

やはり、クーラーの話は長くなりそうだ・・・。続きはまた明日。



昨日起きてしまったこういう事故を、私も常々恐れていた。雨の日に対向車が跳ね上げる水しぶきが飛んでくるだけでも大変危険を感じる。対向車線からもの凄い勢いで飛んでくるものなど、とても避けられないだろう。それがまさか乗用車だなんて・・・。
並行して走る新旧東名高速道路だが、行先などやむを得ない事情があるならともかく、これまでも気分だけで旧東名高速道路を走ることはできるだけしないようにしてきた。今後は更に心掛けよう。

このゴールデンウィーク中、実家で探し物をした。もう何十年も空けたことのない押し入れや箪笥の中、ひょっとしてネズミでも出てくるかもと、ちょっとビクビクしながらも、どうしても探し出したいものがあった。何時間もの捜索の末それは見つかったのだが、それとは別に大きな収穫があった。
例の私が拾ったお金の定期預金に関するものと思われる封書だ。「定期預金ご継続のお願い」というもので、そこには支店名や口座番号、そしてまさに預けたであろう金額までが明記されていた。名義は私のものだった。
さっそく銀行に問い合わせ、窓口に出掛けた。口座名義本人であるので手続きはとてもスムーズ。私の名義だったのでとても助かった。そこであることが判明した。当時は銀行口座を作るのに生年月日の登録は必要なかったらしい。だから昨年夏に氏名と生年月日で検索してもらってもヒットしなかったのだ。ひとまずこれはこれで解決。休眠口座の復活と同時に解約という手続きをした。

さて、ここでもうひとつ謎解きのヒントがあった。昔は口座情報に生年月日が登録されていなかったことだ。普通預金を作った記憶が微かにあるという父の記憶とは裏腹に、昨年夏に窓口で検索してもらったが見つからなかったこと。つまり、生年月日が登録されていない父名義の口座が、実は休眠状態で残っているかもしれないのだ。

もともと農家の貧乏家庭である故に、仰天するほどのお宝はどこを探しても出てくるはずはない。引き上げてみて箱を開け、何が出てくるかはお楽しみ!そんな宝探しをしているようで、最近ではすっかり楽しんでいるのである。

小学生の私にとって十分に大金であったそのお金の存在だた、私はすっかり記憶から消されていた。それは、もう使ったものだと理解していたから。
ちょうどその頃、それまで乗っていた姉のお下がりの自転車がさすがに小さくなったので、新しい自転車を買ってもらうことになった。子供なりに、「ちょうど”あのお金”があるじゃないか!」と思っていたし、親にそうアピールした記憶もぼんやりとある。金額的もちょうど自転車が買えるぐらいだった。自分の中では自転車の購入資金に充てて、それで無くなったものと理解していた。だから、まさかそれがそのまま定期預金として残っているとは思ってもいなかった。

それはひとまず置いておいて、父の「定期預金満期通知中止のお知らせ」について。
銀行に電話で問い合わせた。通帳も証書も、印鑑もどれだか分からないが、とにかく定期預金の存在だけは確か。そんな状態では本人が必ず窓口に出向く必要があるとのこと。預金額は幾らなのか、当然のことながら電話では教えてくれない。数千円かもしれないし、びっくりするほどの大金かもしれない!いや、びっくりするほどのお金があればきっと父も覚えていると思う(笑)。きっと忘れてしまうほどの残高だろう。それでも、確かめてみなければ!みすみす放棄することもない。足腰がすっかり弱ってしまった父だけに外出するのはとても大変だが、これぞまさに宝探し!車椅子を押し、親子で銀行に出掛けたのであった。昨年の夏のことだった。
結果は予想通り、びっくりするほどの金額ではなかったが、これでちょっとだけ美味しいご馳走でも食べられるかなと思えるほどの小遣いが手元に戻ってきた。
そこでついでに訊ねてみた。まず、これが定期預金であったことから、通常の発想なら普通預金もあるのではないか?!と。父の氏名と生年月日で全支店の口座を検索してもらった。ところがこの定期預金以外には見当たらないと。父は、定期預金よりもむしろ普通預金を作った記憶ならある、とそんな風にも言っていた。しかし、無かった。更に、例の私が拾ったお金を預けた定期預金についても、私の名前でも検索してもらったが見つからなかった。父は、「東海(銀行)じゃなかったか・・・、あとあの辺にどこの銀行があったかなあ・・・。もう分からん・・・」と。当時父が務めていた会社は繁華街にあったので、周辺には銀行はいくつもある。また、合併や統合などでその形を変えており、残された方法はしらみつぶしに当たるしかない。しかも、口座が私の名前なら一日かけてでも順に銀行を回ることもできるが、父名義だとすると車椅子の父を連れては事実上不可能。二人で、「もう諦めるか・・・」と納得したのであった。

またまた長くなってしまったので、続きは明日に。

昨年の夏ごろのことだった。年老いた父が、「そうえいば!」とこんなことを話し始めた。
もう四十数年前のこと、私が小学校3〜4年のことだったと思う。通学途中で道端で財布を拾った。帰宅後、祖母と一緒に近くの交番にでかけ、届けた。落とし主は現れず、半年後にその拾得物をもらうことになった。小学生には十分に大金であったそのお金を、私は父に預けた。父は当時名古屋市内の会社に勤めており、その近くの銀行でそっくりそのまま定期預金に預けたのであった。私はそれを聞かされていなかったのだが。
その出来事を、昨年の夏に父が思い出したのだが、通帳も印鑑もどこにあるのやら全く記憶がないらしい・・・。おまけに、どこの銀行かも定かではない。「会社の近くの、たぶん『東海(銀行)』だったと思うけどなあ・・・」と。(※東海銀行→現在の三菱東京UFJ銀行)

何故、昨年の夏に父がそれを思い出したか、それには伏線があった。その少し前、自宅に父宛てに三菱東京UFJ銀行のとある支店からからこんなような封書が届いた。「定期預金満期通知中止のお知らせ」。つまり、今後は定期預金が満期になってもお知らせしませんよ、という内容の文書であった。それを父に伝えたのだが、父はその支店に定期預金があることを知らなかった。というか忘れていたのだろう。「それはともかく、お前が小学生のころに拾ったあのお金の預金が、当時の会社の近くの銀行にあるはずだ!」と記憶が連鎖し始めたのだった。


長くなりそうなので、続きはまた明日。

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久しぶりの登場のアビイロード号、走行距離は5万キロを少し越えたぐらい。突如インストルメントパネル内に大きな警告マークが出た。「ジュウデンイジョウ(充電異常)」。そしてチャージランプ(バッテリーマーク)も点灯。これは、充電量が消費量に追いついていないことのしるし。このままではバッテリーが消耗してやがては走行不能になる可能性がある、という意味の警告である。
さっそく点検。やはりオルタネーター(発電機)が正常に機能していないようだ。エンジンルームを覗くと、オルタネーターはインテークマニホールドの下のほうの、とても狭いスペースに収まっている。交換作業も決して簡単とはいえないようだ・・・。
まずは部品の手配から始めよう。

レイブリックの欠点のひとつ、しかもかなり深刻なことなのだが、それはクルマを楽しむための提案力不足だと私は感じている。
店内のレイアウトもその一例。1996年の開業以来、必要に応じて、いや正しくは予算に応じて店内の改装を行ってきた。限られたスペースの中で店内のレイアウト変更を模索することの繰り返しだったわけだが、その結果、お客さまやスタッフが居るスペースはずいぶん快適になった。しかしその反面、アクセサリーやカスタムパーツなどを展示するスペースが失われていった。もっとも店内改装のデザインは私が主導となって行ってきたわけなので自業自得であることは間違いない・・・。

ちょっと昔話をすると、開業当時はスタッフが3人だった。事務所内には3人分のデスクと、6人掛けの商談テーブルがひとつ、それだけだった。その他のスペースには、サイドステップやグリルガードなどの大きなアクセサリー類をはじめ、ショックアブソーバーやフォグランプなど、カスタムを楽しむためのアイテムを展示できていた。
やがてスタッフも増え、そしてなによりも来店していただけるお客さまが増えた。そのために改装を行ってきたのだが、席数でいえば現在は開業当時の2倍になっている。半面、パーツを陳列するコーナーが侵されていったというわけである。

ランドローバーは、そのスタイルから多くの人と荷物を積むことができる。しかし、それでも更に「ランドローバーを使って、より楽しむためのアイテム」を積みたいと思われるユーザーさんが多い。スキーやボート、自転車やキャンプ道具などなど。そういったものを積むのに役立つのがキャリヤ。レイブリックでもTHULE(スーリー)製キャリヤの問い合わせは多い。しかし、如何せん実物が展示できていない。多くの商品は、お客さまに実物を見ていただくことでその質感やサイズ感を実感することができ、購入するか否かの明確な判断のきっかけとなる。THULEも展示をしなければ!それは長年の課題のひとつであった。
店内を眺めても眺めても、キャリヤをうまく展示する方法が見つからなかった。しかし、それでもようやく、まさに苦肉の策であるが、無いよりはあったほうが良いということで、こんなふうに手摺りにぶら下げることに至った。
高い場所なので手に触れていただくわけにはいかないが、その存在感は分かっていただけると思う。
それにしても、まだまで課題山積だ・・・。
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天気は優れないが、レイブリックの前の桜は満開!明日は晴れる予報。最高の花見日和になりそう!

自宅に固定資産税の明細書が届いた。今日はそれに関連する話を。
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私の住居は分譲マンション。写真のとおり、29年度の固定資産税と都市計画税合計の年額は140,900円。その他、毎月支払う経費は管理費と修繕積立金、合計で33,500円。年間で402,000円。先の固定資産税等と合わせると年間でざっと54万円となる。マンション購入から現在まで、およそ17年間払い続けているわけなので、その合計がおよそ920万円。なかなか大きな金額である。ふと、賃貸マンションンとどちらが得だったのだろうか?と考えてしまった・・・。
ちょっと計算してみた。

(これまでに支払った金額)=(頭金)+(住宅ローン)+(金利)+(火災保険)−(住宅取得控除)

例えば今、自宅マンションを売却したとして(皮算用だが・・・)、その金額を「これまでに支払った金額」から差し引くとおよそ3千数百万円になる。これを17年間の月数で割るとざっと15万円。例えば月額家賃15万円の賃貸マンションに住み続けたと同様の収支となるわけだ。
そこで自宅の近くで15万円前後の賃貸物件を探してみた。しかし、現在の自宅マンションよりも条件の悪い部屋しか見つからない・・。ということは、今のマンションを買ってよかったということかな。

収支面だけで比較をしてみたが、自己所有の場合、例えば、ワンパクの子供らが床や壁を傷つけても大問題にはならないし、そんなふうに持ち家ならではの自由度は存分に感じてきた。クルマでもそうだが、マイカーを待つかレンタカーやタクシーで過ごすか?など、損得勘定だけでは計れないところた多々ある。人それぞれではあるが、所有するということの意味は確実にあると思う。
固定資産税の明細書を見た時はちょっと疑問にも思ったが、これでちょっとすっきり!

最近ブログの更新を怠っていて、お客さまからは「加藤さん、大丈夫ですか?入院とかしていないですか?」と心配していただくこともある。すみません、ただの怠慢です・・・。そして、全く元気です!
今日、先日の人間ドックの検査結果も届いた。特に問題なし。血液検査も血圧も心電図もOK!
そして今回はなんと言っても体重が減ったこと。腹囲も一気に減った。ズボンのウエストサイズはこれまで33インチだったのだが、全てブカブカになってしまった。そこで先日、春モノの32インチのスボンを5本まとめて買った次第。体系的にはとても嬉しいことだが、財政的にはとても厳しい春となった。。
この32インチのズボンが再び履けなくなれば、これまた勿体ない話である。リバウンドを最小限に抑える努力を続けねば!
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今年の正月明けから始めたダイエット作戦、まず、その目標設定は今日の人間ドックで標準体重の73.4kgを下回ること。まあ、この辺りまで近づけばいいかな、毎年そんな風に考えているのだが、今年ほどストイックに取り組んだことはなかった。途中までの順調さで、ここまで来れたなら絶対にクリアしてやろうと更にスイッチが入った。
自宅の体重計では数日前に既に73kg前後にまで落ちていた。ここ数日はとにかくそれをキープ。食べなきゃ増えるはずがない!食べ物は本当に必要最低限に抑えた。
そして今日の本番。検査室にカメラを持って入れなかったので証拠撮影こそできなかったが、結果は「7.27kg」!この二ヶ月で、8kg強のダイエットに成功!空腹と闘った苦労よりも、この瞬間は成功の歓びのほうが断然大きい!ただ、これ以上無理をして体調を崩しては本末転倒なので、ここで少しだけ小休止。多少のリバウンドもやむなし!近く何か美味しいものを食べに行くとしよう!

これは、今朝、人間ドックに出掛ける前に計ったもの。2~30年前の昭和レトロのアナログ物だか、なかなか正確かも!(笑)
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毎週土曜日の朝は、辛坊治郎さんがキャスターを務める情報番組を見ながら朝食をとる。今日の特集はいう間でもなく「3.11」。東日本大震災から今日でちょうど6年が経った。

子どもの頃から「東海地震、東南海地震」という言葉をよく聞いた。近い将来、この土地は必ず大地震に見舞われる。そう言われていた。地元だから余計にそう感じていたのかもしれないが、日本の中で最も警戒が必要な地域であるかのごとく騒がれていたような気がする。小さな地震が起きただけで「ほら来た!」と緊張感が走ったものだ。しかし、この土地では災害と呼ばれるような大地震は未だに起きていない。
1995年1月、阪神淡路大震災が起きた。東海地方もかなり揺れた。それでも建物が倒壊するには程遠いレベルだった。関西の直下で起きた大震災、東海地震ばかり気にしていて私にとっては、いやきっと多くの人にとっても阪神淡路の地震はノーマークだったと思う。
その後、中越や、そして東日本、更には熊本。東海は来る来るといって全然来ない。全国各地で頻発する地震によって大きな歪は小出しにされ、実は東海地震は起きないのではないか、そんなふうに考える人もいるほど。東海地方でも太平洋沿岸部の地域の人は、やはり津波の心配もあって楽観視をしているようには見えない。しかし、私の住む地域のように津波の心配がない土地の人は、私も例外ではなく完全に油断しているように思える。

6年前、私は東京に居る時に東日本大震災を経験した。東北の地域の方とは比べものにならないことは十分に分かっているが、それでもかなり、いや本当に恐ろしい思いをした。震災後も、そこに住むことに対しても、そこで仕事を続けることも、先が見えない心配やら恐怖やらで睡眠不足が慢性化していった。
言ってみればたったそれだけの経験ではあったが、遭いたくない経験であることは事実だけど、遭っておいてよかったと思える大事な経験だったと思う。

今朝の情報番組では、辛坊キャスターが南三陸を訪れたシーンが放送されていた。辛坊キャスターが震災後初めて東北を訪れたのは震災から2か月後の5月のことだった。甚大な被害を受けた南三陸町を訪れ、町長に「私たちで何かできることがあれば」と問いかけると、町長はこう即答した。「風化させない努力をしてください」と。これから復興へと向かおうとする最中、キャスターである辛坊さんにしてほしいことは、救助や救援を願うことでもなく、またそれらを呼びかけることでもなかった。辛坊さんの立場を以って、どうかこの惨状を風化させないこと、その努力を続けることをしてほしいと。
その想いの、私は何分の一かではあるが、とてもよく理解できると思った。私も、自分が感じたあの恐怖は6年経った今でも忘れていない。しかし、あの恐怖を感じていない人にとっては情報が少なるなるごとに記憶も薄れていくもの。そう、私が阪神淡路や中越の地震の恐怖を覚えていないのと同じ。阪神淡路はたまたま私の始めての転職の年だったので、それが1995年1月であることぐらいは覚えている。しかし、中越や新潟のことは、あれ、えーと、いいう感じ。風化である・・・。

南三陸を含め、東北はまだまだ復興の途上。忘れ去られていい場所であるはずはない。去年「今年は久しぶりに東北を訪れてみよう」と思った。しかし、実現させられなかった。今年こそ、行きたいというより、行かなきゃ!と、そんなふうに思う。
大震災の4ヶ月後の7月に私は石巻を訪れた。全てが流されてしまった街の姿は衝撃だった。それよりもそのとき嗅いだ強烈な臭いも忘れていない。さすがにあの臭いは今もうしていないと思うが。それでもきっともう一度あの場所に立てば臭いの記憶も再び鮮明なものになる気がする。行っておこう。私自身の中で風化させないために。

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