幼い子供さんたちと保育士さんが巻き込まれてしまった滋賀県大津市で昨日に起きた痛ましい交通事故、そのニュースを見るたびに悲しみが込み上げてくる。

事故のことが気になり、Googleストリートビューで現場の交差点を見てみた。2018年3月の映像だが、そこにも子供たちと引率の保育士さんとみられる方が写っていた。子供たちに危険が及ばないように、保育士さんは子供たちをできるだけ車道から離れた場所に集めている様子がうかがえる。さらに周囲に気を配っているようにも見える。

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この画像が今回の保育園に通う子供さんたちと保育士さんかどうかは確かではない。しかし、今回もこんなふうに車道から離れた側で信号待ちをしていたと報道されている。だとしたら、やはり絶対に守ってあげなければならなかった。当事者の二人のドライバーの運転にそのものにも、もしかしたら事故を防ぐことができる要因があったかもしれない。また、これは行政の問題だと思うが、せめて交差点の角にガードレールを設けていてほしかった。そうすればその向こう側で信号待ちをすることもできただろう。
多くのことがとても残念でならない。

私も二人の子供の親である。もしも子供がこんなふうに事故に巻き込まれてしまったらと想像をするだけで涙がこぼれてくる。と、同時に、息子らも既に自動車免許をとり運転もしている。今回、息子たちにもこの事故の意味をしっかりと理解しておくように伝えておいた。どうか、子供たちが被害者にも加害者にもならないように、それを支えるのが大人の役割だと思う。

亡くなられた子供たちのご冥福と、怪我をされたり心に深い傷を負われることになったみなさんの一日も早い回復をお祈りいたします。

もしも上皇陛下が生前ご退位のご意思を示されなければ、今日はただの5月1日でした。ゴールデンウイークの合間の平日の一日に過ぎなかった今日が、令和元年の幕開けとなる特別な日になったことは私自身の意識のなかでもとても大きいものです。時代の移り変わりを自分の人生に被せながら、この改元をきっかけに、また新たな領域に向かっていく勇気をもらえたような気がします。改めて平成の時代に感謝し、令和への思いを感じているところです。


いよいよ平成の時代の終わりがカウントダウンに入った。

私の祖父母は共に明治生まれだった。祖父は昭和のうちに、祖母は平成に入ってから亡くなった。いずれにしても、祖父は3元号、祖母は4元号を生き、当時は家族内でも「いやあ、凄いなあ!」などと驚いていたものだ。そういう私も間もなく3元号を迎えられることとなった。感慨深くもあり、最近は去り行く平成の時代を懐かしむ時間も増えている。


私が大学を卒業し、社会に出たのは昭和63年のことだった。社会人一年生のうちに昭和が終わり、平成が始まった。そんなタイミングなので私の社会人生活は平成の間にもの凄い勢いで過ぎているように感じている。仕事で輸入車を取り扱う関係上、西暦を使うことが多い。しかし自身の人生には、しっかりと昭和編そして平成編が綴られているような感覚である。

その平成編の代表的な”章”はやはり起業。8年間のサラリーマン時代を経て平成8年に起業した。事業を営む上では確かに紆余曲折があったが、思い起こせばその全てがストーリーの要となっている。そして現在は既に代表職を退いている。

もうひとつ大きな章は二人の息子の成長の過程である。まだ二人とも学生ではあるが、それでも次男が成人したことで十分にひとつの区切りがついた気分。もっとも、これから彼らも社会に出て、やがては結婚して家庭を築き、いつかは孫の顔を見せてくれる時がくるかもしれない。それらのどの瞬間もきっと親として子供の成長を喜ばしく感じることだろう。

私は昭和生まれ故、アイデンディティーとしては昭和人だと感じている部分が多い。しかし、社会人としてそして親として、そういった一個人としての存在感は圧倒的に平成の時代にある。
来る令和の時代は、自分にとってどんな時代になることだろう。平成ほど躍動的にとはいかないだろうが、すっかり落ち着いてしまうにはまだまだ早すぎる。平成を自らこうして有意義な時代だったと振り返っているように、令和もそんなふうに過ごしていけたらと思う。

地震に関する出来事をもうひとつ。
昨年9月6日の未明、北海道で大地震が起きた。札幌に姉夫婦が住んでいて、訪ねるために私は前日の9月5日に北海道に向けて出発する予定をしていた。
9月5日の早朝、私は中部国際空港に向かった。関西地方に大きな被害をもたらした大型台風が通過した直後で、まさに台風一過の晴天だった。私は朝一番のスカイマーク便を予約していたのだが、空港に着いてビックリ!いやガッカリ・・・。前日の台風によって搭乗スタッフの遣り繰りが狂ったようで欠航となっていたのだ。天候がすっかり回復していただけにまさか欠航とは微塵にも思わず、HPをチェックするなども全くしていなかった。すぐにANAやJALの空席を確認したが時すでに遅し。前日の台風の影響によって関西空港が閉鎖されていた関係で名古屋発着便は既にパンクしていた。
私は今回の北海道行きを諦めた。そして翌日未明に大地震は起きたのだった。

当初私は、ANAマイルが貯まっていたので特典チケットで行くつもりだった。ところがチケットが取れなかった。そんな事情もあってスカイマーク便を予約したのだが、もしもANAでチケットが取れていたなら欠航の飛行機を尻目に悠々と青空に飛び立ち、その結果その後何日も北海道で足止めを食らう羽目になっていた。
姉の家に泊まれるので空港難民になるようなことはないが、それでも地元の人が大変な思いをする地で、旅客者として面倒を掛けるのはとても申し訳なく感じる。偶然が重なって飛行機に乗れなくて本当によかった。

小学生の頃、学研の「科学」と「学習」という学習雑誌があった。きっと私はその頃から理系人間だったのだろう、「学習」は無視して「科学」ばかり興味を持って見ていた記憶がある。
遠い記憶なので断片的にしか覚えていないが、将来のこととしてNASAのスペースシャトル計画や、惑星直列のことをぼんやりと覚えている。その後スペースシャトルは実現し、それはまあまあ大人になってからのことではあったがそれはそれはカッコよかった!惑星直列によって磁場が、重力が・・・、などという様々な悪い推測などもあったが、実際には何も起きなかった。
「科学」でも取り上げられていたと思うが、当時から近い将来に東海沖地震が発生すると言われていた。やがて「南」が付いて東南海地震と呼ばれるようになり、今では南海トラフ地震と名前が変わっていった。科学の進歩と共によりリアルな予想となったのだろう。

しかし未だにその地震は起きていない。その間には1995年の阪神淡路大震災や2004年の新潟県中越大震災、そして2011年の東日本大震災など多くの大地震が起きている。1995年の阪神淡路大震災は、それまで私が経験した中では最大の揺れを感じたものだった。朝方、まだ布団の中で「ついに来たか!」と思った。すぐ近くが震源地であるかのような激しい揺れだった。しかし、震源は150km以上離れた関西地方だった。
2011年の東日本大震災は、私は東京に居てとても怖い思いをした。揺れの大きさも揺れている時間もとても長かった。人や建物に被害が出るほどの揺れを始めて体験した。それほどまでに衝撃的な大地震だった。

今日であれから8年。被災された方の悲しみやご苦労はとても想像できるものではないが、多くのことを教訓にしなければいけないことは確か。予想されている南海トラフ地震に限らず、あらゆる災害を想定しながら油断をせずに日々過ごしていこうと思う。


趣味で木工作業をしていると端材が残る。端材といっても材料としてまだまだ使えそうなものも多くあって、そんな材料を眺めていると閃くように何かができることもある。今日はローテーブルを作った。

以前にクラシックレンジローバー用の車中泊ベッドキットを作った際に使った暑さ20mmの合板と、レイブリックの休憩室を作った際の栂の角材の端材を引っ張り出し、まずテーブルの材料として寸法をとって切り出した。
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ご覧のように、それらをちょちょいと組み立てただけのシンプルな作りだ。白木のままだと汚れが目立ってくるので、仕上げに蝋蜜を塗り込んだ。ブライワックスという色が付いた蝋蜜で、塗り込むことで落ち着いた仕上がりになる。空拭きをすると表面もサラサラになって一気に家具らしい風合いになった。
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完成したローテーブルはレイブリック長久手本店の休憩室に置いた。今回の材料は全て残り物。それにしては我ながらなかなかの出来栄え!
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愛知県には知多半島という、伊勢湾に突き出た半島がある。地元からのアクセスも良いので、グルメドライブなどでも行きやすい場所だ。昨日は始めて知多半島を歩いた。寒い季節なので山方面へ向かわずに少しでも南へと目を向けたのである。ネットで「オレンジライン」というハイキングコースを見つけたのでさっそく歩きに行ってみた。 オレンジコースは知多半島の東西の海岸近くの電車の駅がそれぞれスタートゴール地点となるおよそ11kmのコース。私は西側の知多奥田駅からスタートすることにした。知多半島はドライブで何度も訪れている場所。半島の西側は伊勢湾に、東側は三河湾に面しているのだが、まさかその間を徒歩で超えることになるとは!我ながら驚きながら歩き始めたのであった。
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一旦は駅から更に西に向かって歩き、完全に海岸に出た。遠くには中部国際空港が見える。強く冷たい風の中、少し海岸線を北上し、そこから今度は東に向かって半島を横断していくというルート。
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半島の標高はそれほどないのだろう。多少のアップダウンはあるが、登山というほどの負担はない。町中を抜けるエリアもあれば、みかん畑や水田の中の農道、そして林間と景色は移り変わっていく。決して絶景が待っているというコースではないが、退屈になるほどでもない。
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気候は日中の気温でも10℃にも満たないほどだが、むしろこれぐらいでちょうど良いようだ。ウォーキングは冬にはもってこいかもしれない。後半で股関節に疲れを感じたが、3時間ほどで無事にゴール地点の河和口駅に到着。ゴルフでも歩行プレーをすることもあって、距離的には10km近くは歩くこともあるが、プレーをしながらだし休憩もとれるので歩きっぱなしというわけではない。一気の11kmは大人になってからの最長距離だと思う。 まだ大きなことは言えないが、こうして足腰のトレーニングを重ねて、やがては高い山に登ってみたいという目標もある。無理せずに頑張っていこう!

もう一昨年も前のことになるが、私が幼少時代から住んできた実家の母屋を取り壊したときのこと。思い出の品を含めて多くのモノが出てきたのだが、これもそのうちのひとつ。昭和63年の年賀状。数えたら136枚あった。
おっと、このまま再び保管を続けたら同じことの繰り返し。思い立ち、今日、郵便局へ行ってきた。使わなかった年賀状は切手やはがきに交換をしてもらえる。ただし、1枚5円の手数料が必要だが。
40円のはがきに対して手数料が5円、つまり一枚あたり35円が136枚なので4,760円。その分の切手に交換してもらった。

それにしても、どうしてこんなにも出さずじまいの年賀状が加藤家に残っていたのだろう。この年は喪中だったわけでもないのに、不思議だ・・。

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トレッキングとともに最近は自転車に乗るようにもなったのだが、春になったら少し遠くへ出かけてサイクリングを楽しもうと計画中。まだゆっくり訪れたことがない東北方面へ行こうか、それとも一気にサイクリストの聖地しまなみ海道にしようか。いきなり遠すぎるかな、無理せずに徐々に行動範囲を広げていくべきか。
場所はともかく、いずれにしてもクルマに積んでいかなければならない。さっそくサイクルキャリアを購入し、バンデンプラに取り付けてみた。うん!これはなかなか冒険心をくすぐるスタイルだ!
レンジローバー



特に最近はできるだけ歩くようにしている。というか、純粋に歩くことを楽しめるようになった。ジャンルとしては「ライトトレッキング」というところだろうか。
そんな中、先日ようやく専用の靴を買ったのだが、それが意外と大変だった。なかなか自分の足に合う靴が見つからなかったのだ。専門店に通い、そのたびに何足かを試し履きするのだが、どこかが変に当たったり締め付けられたりした。そういえば、昔、スキー靴を探す時も大変だったなあ。フィットする靴に出会えず、やむをえず最後にはちょっとだけ妥協をした一足に決めることになるのだが、結局その妥協点が仇となって必ず痛い思いをしたものだった。きっと自分の足は少し厄介な形状なのだろう・・・。今回も同じ思いをすることになるのだろうか、そして山を歩いている時には痛い思いをすることになるのだろうか、そんな心配が払拭されないまま、それでも数日にわたり何十足も繰り返し試し履きをさせていただいた。
そして最近になってようやくしっくりくる靴に出会えた。単に足に合うかどうかだけではなく、専門店に通うことで履き方や歩き方のアドバイスをしてもらえたのも大きかった。

今日、その靴をデビューさせた。主にそれほど傾斜のない山道をおよそ8km歩いたのだが、どこにも全く痛みを感じることなく、靴擦れの心配もなく歩ききることができた。これからいろいろな山を歩こうと考えているのだが、そりゃそうだ、歩いている途中で足が痛くなったら大変。というか、それ以上歩けないではどうしようもない。靴は肝心だ!プロのアドバイスが本当に頼りになったことを実感したのであった。
さあ、次はどこの山に行こうか!
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年末ギリギリになってようやくバンデンプラのタイヤをスタッドレスにハメ替えた。ホイールはランドローバー純正のロスタイルと呼ばれるスチールホイール。これまではパーツ供給された状態のブラックカラーで使用していたのだが、今回イメージチェンジを図りシルバーに塗装をしてみた。

作業はホームセンターで購入した缶スプレーを使用して自宅で行ったのだが、先に申し上げておくが、これはあくまで個人で楽しむレベルのもので、レイブリックとしてお客さまにご提供できるクォリティーにはほど遠いものである。タイヤからホイールを取り外さずにマスキングで行うため、リム回りの仕上げはどうしても曖昧になる。また晴れたとはいえ、師走の寒さの中では上手く塗装できるはずがない。多少の塗装ムラも仕方がない。これは、もう少し温かい季節にやっておけば少しはマシになたと思うが。
とにかく、「自分で作業をすることの楽しみ」が最大の目的だ。

ということで作業開始!まずはマスキング。タイヤ部分に塗装が付かないようにできるだけ丁寧に覆う。そしてサンドペーパーを使ってホイールの塗装面を擦るす。サンドペーパーで表面を敢えてザラザラにするのだが、それによって塗装の”付き”をよくするわけだ。次にプライマー塗装。(このあたりの工程の写真を撮り忘れてしまった・・・)
そしていよいよシルバー塗装。数回に分けて重ね塗りをするわけだが、印象的には徐々に割とタップリと吹き付けるようにするといい艶が出てくる感じ。結局、4本のホイールに対し、4本のスプレー缶を使った。
さて、仕上げのほどは?近くで見るとそれはそれは酷いもの・・・。繰り返しになるが、この方法はとてもお客さまからお金をいただけるクォリティーではない。それでも、個人的には十分に想定内の仕上がり。この冬のドライブを楽しめそうだ。それを自らの手でやれたことに満足!
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レンジローバー
今日の愛知県の天気予報は「雪のち晴れ」。朝、外に出たときにはあたりが真っ白でびっくりした。そして予報どおり午後には青空が広がり、やがて雪も解けた。
今日はレイブリック2018年の仕事納め。こんなふうに寒い日になったが、今日は朝から店内の大掃除。ピット内では水を流し、デッキブラシを使って日頃落とせない頑固な汚れもスッキリ。これで新年も気持ちよくお客さまをお迎えできることだろう。

今年も多くの方にレイブリックをご利用いただき、ありがとうございした。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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ランドローバー



何十年かぶりにミシンを使った。
亡くなった私の父は工業用ミシンの技術者だった。そんな背景もあって、私は子供のころからミシンを使うことに慣れていた。最後にミシンを使ったのは中学生の時だっただろうか。だとすると40年ぐらいぶりということになる。
とはいえ、子供の頃にしっかり覚えたことは意外に忘れていないもの。迷わず縫うことができた。
レンジローバー・ベッドキット


さて、作ったものはコレ。クラシックレンジローバー用のベッドキット。木製の丈夫な板にウレタンスポンジを重ね、それを表皮となる合成皮革で包みこむ構造。その表皮の隅を四角く縫製した。つまりたったこれだけなので、ミシンを使ったといっても極めて簡単な作業ではあったが。笑
レンジローバーベッドキット
レンジローバー










2025年・大阪万博が決定した。

私の世代で万博と言えば、1970年の大阪万博。なんといってもその入場者数は6,400万人であり、私の周りの同世代では万博に行かなかったという人をほとんど知らないほど。

当時私は5歳だった。夏休みのことだったと思うが、私は一家で町内会の日帰りバスツアーで万博に出かけた。記憶は断片的であるが・・。パビリオンの列は長く、一日でいくつものパビリオンを見て回るはとても無理だった。冷戦時代だっただけにのソビエト館にも惹かれたが、それでも私たち家族はアメリカ館を最優先した。炎天下の元で数時間待ちの長い列に並んだ。途中でアイスキャンディーが売られていたが、私の記憶では買ってもらえなかった・・。
ようやくパビリオンの中に入るも、順路はノロノロ歩きで進んだ。目玉はアポロ11号が持ち帰ってきた月の石。何時間もかけ、月の石の前に居られたのはほんの数分だったと思う。ただ、5歳の時の僅かな記憶を今呼び起こしてみれば、何時間も並んだことの苦労よりも、頭上に輝く月の石の記憶のほうが何十倍も鮮明である。万博とはそういうものかもしれない。

2025年の大阪万博も、きっと多くの子供たちにとって生涯の思い出になるような素晴らしいイベントになることだろう。私自身もとても楽しみだ。
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expo70
(父が撮影した写真)





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封切前から楽しみにしていた映画「ボヘミアン・ラプソディー」を、今日、ようやく観にいくことができた。

学生時代、Queenの音楽を聴きながら多くの時間を過ごした。受験生でもあった高校3年の時には、さらに定期試験の真っ最中だったにも関わらず来日公演に出かけた。初めて見る”生”のQueen、それはそれは興奮した。そして神秘的にさえも感じた。
大学時代にもういちどQueenのライブに行くことができた。しかしフレディ・マーキュリーの生歌を聴くことができたのはそれが最後だった・・・。その頃は〇〇ロスなんて表現を聞いたことがなかったが、当時の私はまさにQueen lossだった。


さて、映画だが、私がQueenのファンであることは確かに大前提ではあるが、ラスト30分は涙が溢れっぱなしだった。イギリスのウェンブリー・スタジアムでのチャリティーライブの様子は、それが極めて忠実に再現されているだけに余計に心を揺さぶられた。
今は映画の余韻が大きすぎるから少し大袈裟ではあると思うが、私の残りの人生、聴くことができる音楽がQueenだけになってもよいと感じるほどである。とりあえず上映中に最低もういちど観にいこう!



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