LAND COMFORT 加藤ブログ

ランドローバーを運転していると時間がゆっくり流れているように感じます。

ランドローバーを運転すること、ランドローバーのある生活、ランドローバーと過ごす時間、それらは全てとても心地良いこと。
「LAND COMFORT」とは、そんなことを考えながら出来上がった言葉です。

父が亡くなって明日で二週間。今朝はお寺へ二七日の法要へ出かけた。
バンデンプラの助手席に座った18才の次男坊は、現在教習所に通っていて来月にも自動車免許がとれる予定。クルマや、運転そのものにも非常に興味を持っている頃である。
その次男坊が突然「このクルマ、走り心地がいいなあ!」と言った。『乗り心地』ではない、『走り心地』である。微妙なニュアンスが面白い。それが彼の感じるままなのであろう。ダッシュボードを両手でポンポンと叩き、その手を今度は左右に広げながら「なんか、こういう感じがいい!」のだと。レンジローバーならではの見晴らしの良さ、伝わってくるしっとりとした音や振動、力強さ、そういったまさに五感で感じるものだと思う。このバンデンプラはお前が生まれる更に前の1994年式で、既に23年が経っていることを伝えると、「スッゲー!」と目を大きく見開いていた。

何も言わなくても伝わるもの、それこそが本質だ。レンジローバーはそういうものを持っている。
DSC_6029



台風接近の影響で朝から断続的に強い雨が降っている。今朝は出社前に衆議院議員総選挙の投票に出掛けてきた。徐々に雨が強くなる予報だからか、投票所は朝から混み合っているように感じた。投票率も高いのかな。とにかく、この雨の中みなさん熱心だ。私も例外ではなく、自分が応援する議員が当選し、また支持政党の議席が増えることを願って、祈るように投票用紙を投げ入れた。
加藤ブログ

この雨の中だからこそ、バンデンプラの持病の雨漏れが非常に分かりやすくその症状を表してくれた。ダッシュボードに落ちる水滴はフロントガラスの上部からだった。フロントガラスは接着税で貼り付けられている。おそらくその一部で、接着剤がうまく付いていないところがあるのだろう。ここまでハッキリとその箇所が分かれば、ガラスを取り外すなどの大作業を行うことなく、ピンポイントでシール剤を注入して解決するかもしれない。この台風が去って晴れてきたらさっそく修理をしてみよう。
レンジローバー



新型ディスカバリーがデビューして初めての冬がやってくる。まだまだ数少ないクルマだが、それでも手にされたオーナーさまは早速冬支度に余念がない。スタッドレスタイヤと共に、レイブリックがリリースしているアルミホイールとの組み合わせをご検討してくださっているお客さまにご来店していただいた。
クルマの前にホイールを置いてみてイメージ作り。そしてイグレットのグレー/ポリッシュをお選びいただいた。お客さまと声を揃えて、「うん、なかなかいい感じ!」。笑
DSC_6019
DSC_6020



すみません、バンデンプラをフューチャーして始まった加藤ブログ第二章は、さっそく一週間にわたって更新を中断してしまいました・・・。

実はこの間に私の父が亡くなりました。父は高齢ではありましたが、それでも普段と変わらぬ生活をしている中での突然のことでしたので、まさに大騒動の一週間でした。

父は晩年、温泉付きのとてもアットホームな老人施設で暮らしていました。毎日朝晩お風呂に入り、好きなものを食べ、親切なスタッフのみなさんのサポートのおかげで本当にのんびりとした時間を過ごしておりました。



昨日、お世話になった施設の部屋の片付けをしてきました。父が生きた痕跡がこの一週間であっという間に無くなっていった感じです。

最後はあっけなかったけれど、多くの方に支えていただきながら、父は思うがままの人生を過ごしてこられたと思います。

ありがとうございました。
レンジローバー



クラシックレンジローバーのトランスファーのノブのネジ部分は樹脂製。これが劣化でボロボロになる。オフロード走行をするとき以外、通常走行ではトランスファーをLoモードに切り替えることはほとんどない。雪道の下り坂で使ったことがあるが、それぐらいかも。
それでも、いざ操作した時に樹脂のネジが砕けてノブがコロッと外れしまうのも気持ちいいものではない。
バンデンプラのシフトノブも例外ではなく、ちょっと触ってみると既にグラグラの状態だった。
さっそくお決まりの修理。樹脂ナット部分を取り去り、金属製のナットを嵌め込む。そして隙間に接着剤を流し込んで固めれば完成。
トランスファーレバーを操作することは滅多にないが、愛車がいつも最高のコンディションに整えられていることが嬉しい。
レンジローバーバンデンプラ
レンジローバー
レンジローバークラシック



前回更新したものと同じようなタイトルになってしまいましたが、つまり、今、私の周りには様々な第二章があるのです。

レイブリックの代表を退任し、今は年齢に似合わず会長という肩書をもらってレイブリックに籍を置かせていただいております。既に一か月近く経っていますが、なかなかその立場の変化に自らが対応できず、なんとも言えず気持ちも落ち着かない状態が続いています。とはいえ、焦ることはありません。平野新代表の元、レイブリックは一気に前進を始めております。私も、日々丁寧に過ごすことを心掛けています。

さて、今日の「第二章」ですが、そこには様々な思いがあって、とても一言では紹介できません。省略するわけではありませんが、うまく表現できる部分から書くことにします。

ここで一台のレンジローバーを紹介します。1994年からひとりのオーナーさまが大切に乗られてきたバンデンプラです。実に23年、その間の走行距離は421,506km。年式にそぐわないほどのとても美しい姿ゆえ、オドメーターを覗くと4万2千キロに見えてしまうほどですが、確かに42万キロのクルマなのです。このクルマにはオーナーさまを始め、多くの方の愛情が詰まっています。私が初めにオーナーさまに出会い、このレンジローバーの走行距離を見た時は、まもなく40万キロに届こうかという頃でした。オーナーさまの愛情と熱意、それを受け止めてきたメンテナンス班の技術の高さと情熱を感じずにはいられませんでした。そして光栄にも、私自身このクルマの整備に、その後ほんの僅かですが携わることができました。
レンジローバー

オーナーさまはここ数年、おかれた環境から、時折レンジローバーを降りられることを考えられておられました。その都度相談もいただいていたのですが、私もできる限りサポートをするので、どうか末永く乗り続けてくださいと言い続けてきました。
しかし、とうとうオーナーさまには決断の時が近づいてきました。その話を聞いた時、私はまさにレイブリックの事業継承の手続きのさなかでした。人はこんなふうに思いを繋いでいくものだと、そんな意識を強く感じられるようになった頃です。私は自分の思いをオーナーさまに伝えました。レンジローバーを私に引き継がせてもらえませんかと、そうお願いをしたのでした。


昨日オーナーさまの元を訪ね、レンジローバーを受け取ってきました。オーナーさまにとっては、長年愛し、思い出がぎっしり詰まったレンジローバーを降りるご決断への第二章。レンジローバーにとってみれば、次のオーナーへの第二章です。私自身、様々なことがオーバーラップしているのですが、大切なレンジローバーを受け継ぐことで始まる、新たなレイブリック人生への第二章、そんな気持ちです。
421,506km、この間に注がれた多くの愛情を無駄にしないよう、大切に乗らせていただきます。
レンジローバーバンデンプラ




昨夜からお客さまや友人から多くのメッセージをいただきました。多くはこれからのレイブリックに期待を込めたエールでした。本当にありがとうございます。少し早いと思われる私の退任についても、「更に何を計画しているのだ?」という激励を込めたメッセージが多かったです。いや、今の段階では次のことを考えている余裕などなく、まずは平野を社長として迎えた新体制を一日も早く完成させることで、私の役目はそれを最大限フォローすることだと思っています。引き続き、気を引き締めて取り組んで参ります。ブログもまだしばらくはお付き合いください。



本日、2017年9月13日付けをもって、私は株式会社レイブリックの代表取締役社長を退任することにいたしました。

レイブリックは、昨年、創業20周年を迎えました。節目の年、私はまずこれまでの事を振り返りました。ひとりではとても無力な私が20年という長い間社長を務めてこられたのも、才能あるスタッフが絶えまぬ努力を重ね続けて会社を盛り上げてきたからにほかなりません。どんな時もチームとしての調和を心掛け、それぞれの職務に集中する様には、年を重ねるごとに逞しさを感じてきました。スタッフのみなさんには大変感謝しています。心から、ありがとうございました。

そして、節目の年にもうひとつ考えていたこと、それは心配事なのですが、レイブリックの今後のことでした。レイブリックのスタッフの年齢は、52歳の私を中心に50歳前後に集中しています。7年前に入社した大越智スタッフだけが飛びぬけて若いですが、それでも現在40歳です。スタッフはみな優秀です。体が健康なうちは事業を営むうえで何の心配もありません。しかしそれは永遠ではありません。近い将来、必ずそのバランスは崩れていきます。

若手の育成を、長くレイブリックの重要課題として考えてきました。その過程で何人もの若者を社員として招きましたが、私の指導力が足りず、次世代を担う戦力に育つことなく会社を去っていきました。このままではレイブリックはスタッフの体力と共に衰退していってしまう、そんな懸念が重くのしかかっていました。
更に多くの葛藤がありました。仮にこのまま、企業の若返りができないままに年月を重ねた場合、徐々にレイブリックのパフォーマンスは落ち、それが処理能力なのかクォリティーなのかはともかく、お客さまの期待に応えられなくなる時が必ず訪れます。その辛い状況をどんな形で受け入れるのか、あるいは受け入れることなく、サービス低下に限界を感じた時点で事業に終止符をうつのか。苦渋の決断をしなければなりません。そしていずれの方法を選んだとしても、それはスタッフにとってもお客さまにとっても決して望んでいない結末です。

俯いていては何も解決しません。会社が無事に20年間存続してこられ、そして30年へと向かうにあたり、私はこれからの10年間で必ず世代交代を完遂させ、会社を若返らせようと思いました。そして、これまでの若手の育成という方法とは大きく異なる方法を模索し始めました。事柄の性質上、そのほとんどは水面下での活動となりました。会社の統合や合併など、一見平穏な現状に敢えて大きな波を起こす方法です。個々の若手を育てるのではなく、年老い始めたレイブリックに丸ごと変化を与える、固着している環境をそんなふうに大胆に変えていけないものかと考えたのです。

そんな活動の中で、私は平野さんという、若く優秀な経営者に出会いました。私にできなかった会社の若返り策や、更なる発展に向かう新たな取り組みを、この人ならきっと成し遂げてくれる、そんな期待を抱かずにはいられないほどの才能とエネルギーを感じました。もちろんランドローバーをはじめ、クルマと、クルマを愛するオーナーさまをとても大切に考えてくれる人です。時間をかけ、丁寧にディスカションを重ね、やがて平野さんは私に代わってレイブリックを引き継いでくれる旨の力強い返事をくれたのでした。

それから私はそれらの経緯と今後の体制についてスタッフに説明をしました。突然の展開に戸惑いを表したスタッフもいました。しかし、レイブリックの将来を見据えるなら、今、大きく舵をきる必要がある。そのために平野さんの力を借りようと考えた、そう伝えました。そして、そのことの意味をスタッフのみなさんにはしっかり解ってもらえたと思います。暗い闇の中だったレイブリックの将来に、確かな目印となる明るい光が射した瞬間でした。



営業の真野くんは1996年の開業メンバーであり、まさにレイブリックの大黒柱です。1998年に入社した宮原くんは私の元で整備のイロハを覚えはじめ、あっと言う間に私を追い越してすっかり一人前のサービスマンに育っています。メカニックとしてのスキルもとても高く、ましてランドローバーのスペシャリストであり、私よりも年上のメカニックの溝口さん。その技術とセンスなしでは現在のレイブリッククォリティーは絶対に完成しませんでした。大越智くんは2010年に入社し、若手で唯一定着してくれて明るく頑張っています。業務の女性スタッフの石黒さんは平日昼間限定のパート職ですが、レイブリックで18年のベテランです。家事や育児で大変な時であっても、いつも集中して仕事に取り組んでくれています。
スタッフのみなさんは今後は平野社長の陣頭指揮の元で更に活躍してくれると信じています。そして、徐々に若いスタッフが仲間入りして活気が増し、会社が若返ることで、末永くお客さまへのサポートが続けられることは創業者としてとても嬉しいことです。

社長としての私の役割は今日で終わりますが、あとしばらくは世話役としてレイブリックに籍を置かせてもらえることになりました。共に頑張ってきたスタッフや、これから力を注いでくれる平野社長や若いスタッフのみなさん、レイブリックのクオリティーを支えてくださっている取引業者さま、そして私たちをここまで育ててくださった多くのお客さまの近くで、限りある時間を大切に過ごしていきたいと思います。

社長としてのメッセージはこれで最後となります。21年を振り返り、今、思いつく限りの大勢のみなさまの顔を思い浮かべています。これまで本当にありがとうございました。10年先も20年先も、それ以上先のレイブリックもどうぞよろしくお願いいたします。



今日で8月も終わりです。今月はレイブリックの法人決算月です。おかげさまで、今年で21回目の決算を終えることができました。
前回更新したブログでも触れましたが、私の実家の建物の取壊しに伴い、夏休みには家の中の片付けの作業も連日行いました。たくさん汗もかきました。父と過ごす時間も多かったです。お互いに人間関係に不器用で、親子の関係もどことなく遠慮し合ったようなところがあったのですが、家の取壊しの件もあって一緒にいる時間が増え、この年になって初めて見た父の表情などもありました。
そのほか多くの大切なことが重なり、今年の夏は本当に忙しく、体力的には本当に大変でした。ただ、内容的には全てが前向きなことばかりで充実しており、それ故に疲れを溜めることなく過ごせたのだと思います。人生においても、振り返ればきっと大きな山を乗り越えた夏だったと言えるでしょう。
加藤雅俊、52才。ブログはさぼってばかりでしたが、今年の夏の出来事は生涯忘れることはありません。明日からレイブリックの第22期が始まります。また新たな気持ちで臨みます。
DSC_5876
DSC_5851
DSC_5765



築47年、私が5歳の時に完成した私の実家を、このほど取り壊すことになった。先日の夏休み期間にも猛暑の中、何日か家の中の片付けをしたが、その後も時間を見つけては取壊しのぎりぎりまでと何度も家に入って宝さがしを楽しんでいるのである。
今朝はこんなものが見つかった。あ、いや、これは決して宝ではなく、更に今の私には特に意味のないものになっているので、ただの懐かしの品というだけのもの。大学の卒業証書と、修了時の成績表である。今更これを活かしてどこかに就職させてもらえるわけでもなく、やはり全く無意味なものである。無意味なものなので成績表をサラリと公開してしまうが、改めて見てみるとなんとも情けない成績である。

私は大学3年の前期が終わった頃に、このまま建築の道には進まずに、自動車関係に方向転換しようと考えた。その理由は、趣味を通じて好きになったクルマを生涯の仕事にしたいと考えるようになったから。もうひとつの理由は、3年の前期で大きく単位を落として4年への進級ができないことが決定してしまったから。翌年もう一度3年生をやって、卒業には最低でも5年掛かることが早々と確定してしまったのだ。
私は親に言った。このままあと2年半大学に通うより、退学して自動車整備士への道を選びたいと。しかし、親は退学には大反対。卒業後にどんな道に進もうがそれは構わない。とにかく卒業だけはしろ!と。
そんなこんなで、あとの2年半は正直なところ卒業単位をとるためだけの通学になったことは事実。ただ、それにしても酷い成績だなあ〜。「優」なんて数えるほどしかない。これでは、あのまま続けたとしても、どっちみち建築士にはなれなかっただろうな。笑
加藤ブログ




先日の台風の日に骨が折れてしまった傘、その修理にチャレンジしてみた。
時々、駅の近くやショッピングセンター内で、「傘修理200円〜」などと書かれた傘や靴などを修理するお店を見ることがある。私も真っ先にそれが思い浮かんだのだが、できることなら自分でやってみたいと思うのが私の性格。ホームセンターで修理キットを探し、やってみることにした。修理キットはおよそ600円。数回使うことになれば元がとれる計算。自分でやることの楽しみを得るわけだから、まあそんなことはどうでもよいことではあるが。

結論からいうと、簡単なようで以外に難しい・・・。機能上はしっかり直ったが、金具の折り目がキレイにまとめられなかった。でも自分で使う傘だから問題ナシとしよう!とりあえず復活!
DSC_5854
DSC_5855
DSC_5856
DSC_5858



日帰りで高知に出張。移動の途中で海岸で休憩。こんな日ばかりではないだろうが、今日の太平洋はとても穏やかで、こうして海岸線に立っても波の音は遠くの沖から静かに届く程度。普段の喧騒や気持ちのざわつきのようなものを落ち着かせてくれるかのよう。ここに来られてよかった。
[画像:a0f1a2b6-s.jpg]
[画像:c7cef49f-s.jpg]
[画像:ace1ff7f-s.jpg]



8日間の夏休みもあっという間に終わり、レイブリックは今日から営業再開。今年の夏休みは、もちろんゴルフを楽しんだ日もあったが、実家の片づけに多くの時間と体力を使った。それから、こんな時にしかできない大切な仕事もたっぷりあって、朝はまだ暑くならない早い時間から、そして夜は帰ってシャワーを浴びてバタンキューと眠ってしまうような生活が続いた。おかげですっかり早起きの生活パターンが出来上がり、今朝も7時の開店を待ってコメダでモーニングを済ませてから活動開始。

サービスは何種類か選べるのだが、私的にはコメダのモーニングといえば小倉トースト。うん、なかなかいい朝だ!さあ、頑張ろう!
加藤ブログ
レイブリック加藤ブログ



方々の銀行に点在していた父の休眠口座の発掘はひと段落した。孫(ウチの息子)たちにクルマでも買ってやれるぐらいの大金がどこかから出てこないものかと期待もしたが、まあ我が家に限ってそんなことはあるがずはない。(笑)

今日はもう一件、別の休眠口座についての話題を。もしかしたら読者のみなさまにも参考になることがあるかもしれないので紹介しようと思う。

私の母は16年前に亡くなった。一年以上の闘病生活があったので、母の生命保険や預金類は治療費や入院費捻出のために生前に総ざらえをした。しかし母が亡くなった直後に、更に一冊の預金通帳が見つかった。自宅の近くにはあまりない信用金庫で、最も近い支店でも自宅の隣町になり、通帳発行もその支店のものだった。預金残高は1,000円そこそこだった。利用の推移を見てもそれほど大きな金額の入出金はなかった。仮に未記帳分があったとしても少額だろうことは想像できた。義理かお付き合いか、それほど使うつもりもないけどとりあえず作った、そんな口座に思えた。
しかし念のために私は支店に問い合わせをしてしてみた。亡くなった母の代わりに口座の解約をするためには、そんな内容を尋ねた。回答は、「法定相続人全員の戸籍謄本や印鑑証明を揃えていただいて・・・」などと、やはりかなり面倒そうなものだった。私は、ざっくばらんに聞いてみた。「ところで、残高はどれぐらいですか?」。電話で答えてもらえる内容ではないことは重々承知のうえ。それでも、「戸籍謄本や印鑑証明を人数分揃えて、遠方に住んでいる家族から送ってもらって、そんなことだけで数千円も掛かると思います。それを上回るだけの残高がなければやるだけ勿体ないですが、実際のところどうなんですか?」と。まあ、そういう時代だったのだろう、今ではこんなこと電話で回答してくれる金融機関はないと思うが、「正直、残高はそこまでないです」と答えてくれた。
それ以来、この口座については頭から消え去っていた。

母が亡くなった後、父は実家で一人暮らしをしていた。父の身体がだんだんと不自由になってきたことで私も実家へ行くことが増えた。ある日、母宛ての郵便物を見つけた。例の信用金庫からのものだった。封を開けると「配当通知書」というものだった。そうか、信用金庫は取引開始時に出資金を募るのだ。それは忘れていた。通知書によれば、母は信用金庫に10,000円の出資をしており、その配当金が年に数百円ついている。これが毎年のことなので、16年前に1,000円ぐらいだった残高も7~8千円にまで増えているはず。しかも出資金の10,000円もあるし、それなら頑張って解約をする価値はあるかも。
私は再び支店に問い合わせをした。そして解約の方法を細かく教えてもらった。
結論からいうと、16年前のルールと変わらないと思うが、母の除籍謄本と法定相続人全員(ウチの場合は父と私を含めた姉弟3人の合計4人)の戸籍謄本と印鑑証明を取得し、所定の書類に自書でサインを記入。公的証明書の取得手数料と送料などでざっと数千円の費用が掛かった。手間もそこそこ掛かった。もっとも大変だったのは母に関する書類。出生から死亡までが全て繋がる謄本が必要であり、母が加藤家に嫁ぐ前の本籍地の役所に出向いて、出生から婚姻による除籍までの謄本を取得する必要もあった。
そんなこんなで、家族の協力のもとで書類を整え、無事に口座を解約することができたのであった。

たいせつなお金が家族や遺族に渡ることなく迷宮入りしてしまうとはなんとも勿体なく、渡せなかった側からすればとても無念なことだと思う。私も子供らに迷惑をかけないように、老後はできるだけお金を使い切って!笑、いや、僅かな遺産も分かりやすく整理をしておくように準備しておこうと思う。



加藤ブログ
レイブリックは今日から来週水曜日まで8日間の夏休みを取らせていただきます。
台風も過ぎ、この夏もっとも暑くなりそうな一週間になりそうだ。あまりにも暑い日が続くとスタッフが倒れてしまうのではないかと心配になる。そんな意味ではこのタイミングは非常にラッキー!
ちょっと長めの連休だが、休み明けにはまたしっかり頑張りますので、どうかご勘弁ください。



↑このページのトップヘ