fuji名古屋から千歳に向けて飛び立った飛行機からの風景。離陸して十数分で長野県の御嶽山の上空に来た。山頂は既に雪化粧。遠くに富士山が見える!
こうして飛行機から富士山を見ると必ず思い出すことがある。23年前、1983年9月の大韓航空機撃墜事件だ。米ソ冷戦構造時代のまっただなかで起きた悲惨な事件であり、未だ多くの謎を秘ている。
事件が起きたのは1983年9月1日の未明。ニューヨーク発アンカレジ経由ソウル行きのジャンボ機が、ソビエトの領空を侵犯したとして、ミグ戦闘機に撃墜されてしまったのだ。残念ながら200人以上の乗員乗客が犠牲となった…。
当時18歳の私は、大学の長い夏休みを利用してアメリカに渡っていた。事件を知ったのはちょうどワシントンのホテルに宿泊していたときのこと。ホテルの近くにソビエト大使館があり、朝から異様に騒々しかった。多くのマスコミが取り囲み、抗議デモが行われているように見えた。そして英字新聞を何とか解読し、事件の概要を知った。
私はその後ロサンゼルスに立ち寄り、9月3日夜ロサンゼルス発アンカレジ経由ソウル行きの大韓航空機で日本に帰る予定をしていた。ほんの僅かの予定の違いでは、私もその便に乗っていたかと思うと背筋が凍る思いだった。
私は予定通り9月3日の夜、ロサンゼルス発の大韓航空機に搭乗した。深夜にアンカレジ空港でトランジット。その後、ソウルに向けて再び飛び立った。深夜から早朝にかけてのフライト。登る太陽から逃げるように西に飛ぶジャンボ機は長い夜明けを過ごす。悲劇が二度繰り返されることはないと信じてはいるものの、心の中では『どうかできる限り南側の安全な日本上空を通過していってほしい!』と願い続けながら眠れぬ長い夜を過ごしていた。
登る太陽に徐々に追いつかれ、後方の空が白みかけたころ左の窓の外に遠く富士山が霞んで見えた!機内では誰からともなく歓声にも似た喜びの声があちこちで静かにあがっていた。『よかった!このジャンボ機はかなり南に進路をとってソウルに向かっている!』
それからソウルまでの数時間、ようやく深い眠りにつくことができた。

冷戦時代に起きた悲しい事件に不幸にも巻き込まれてしまった多くの犠牲者に、もしかしたら自分も含まれていたかもしれないという恐怖感は、おおよそ四半世紀経った現在でも克明に記憶にある。そしてシルエットだけでもはっきりそれと分かる美しい富士山の輪郭が見えたときのこの上ない安堵感も決して忘れられない。