毎年7月7日が訪れると強烈に思い出すことがある。(日付は変わってしまったが)今日はもうひとつ私の遠い昔話を・・。

もう22年前のこと。中学に入学した私はバレーボール部に入部した。私が通う中学には野球部もサッカー部もなかった。そういう意味ではバレーボール部がいちばん花形だったように感じていた。生徒会役員もいれば番長もいた。とにかく校内の中心生徒となる人材が集まる部だった。
上級生は逞しく、強烈なスパイクをバンバン打っていた。7月、夏休みに入るとすぐに地区大会が始まり、春からはもっぱらそのための練習。入部したての一年生がボールに触ることといえば球拾いだけだったかもしれない。

7月に入ると3年生を軸にしたレギュラー候補が決まり、それまで見たことのないフォーメーションの練習などが始まった。クイックや時間差攻撃などのサインプレーを取り込んでいた。テレビで観るバレーボールの試合のようだった。2年生を相手にした模擬試合では、いとも簡単にブロックをかわして矢のようなスパイクが決まっていた。カッコよかった。あと数年で自分もあんな風になれるのだろうか?と不安になるほど次元の違う技術を3年生は習得していた。
あと一ヶ月足らず、3年生は大会が終わると引退する。キャプテンは2年生に代わる。それまで先輩に制圧されてきた環境から解き放たれるかのごとく、下級生はコートを跳びまくることは容易に想像できた。ようやく1年生もボールに触れられる。先輩たちが華麗にプレーしたいた様子はしっかり脳裏に焼きついている。当面はその残像に自分の技術をオーバーラップさせていくことがいちばんの練習だと思っていた。

7月7日、太陽が照りつけていた。既に期末テストも終わっていただろう。私は昼休みに級友と野球をしていた。グランドではそんな集団がいくつもあるが、暗黙のうちに「ここはいつも俺たちが野球をする場所、あそこは2年の連中」などと遊ぶ場所が決まっていた。外野同士が背中合わせに重なるように対角でダイヤモンドが構成され、そんな野球が同時に何試合も行われるのが日課だった。
私は打席に立ち、投じられたストレートを三塁手の頭上に跳ね返した。左翼手がラインよりに打球を追った。私はまだ打球に追いついていない左翼手を確認しながら一塁ベースを蹴った。次の瞬間、何か固いものが右の死角から顔面に当たり、私は弾き飛ばされて地面に叩きつけられて気を失った。気が付いたら先生と仲間が私を囲むように集まっていた。何が起きたのか分からないが、体のあちこちが痛かった。仲間とは別に見たことのある2年生がいた。どうやらその先輩とぶつかったようだ。どちらも前を見ずに全力で走っていた。たまたま、彼が振り上げた拳か、あるいは頭が私の右の顔面に直撃したようだが結局詳しくは分からなかった。
しばらくたつと、痛みが和らぐ部分と逆に耐え難い痛みが襲ってくる部分がはっきりしてきた。病院に運ばれたとき、いちばん腫れていたのはやはり右の顔面。瞼が覆いかぶさるほど腫れあがり、顔は完全に変形していた。しかし、いちばん痛みを感じていたのは右手だった。
身体の何箇所かをレントゲン撮影された。結局骨折は一箇所だけだった。右手中指の手のひらの中。拳の間接から1センチほどの骨がくの字なって完全に折れていた。直接ぶつかったのか、地面に叩きつけられたときに折れたのかは分からない。
病院からは「とりあえずバレーボールが打てるようになるまでは早くても数ヶ月かかるだろう」と言われた。ようやくボールを使った練習ができるよになるというのに・・・。
夏休み中も部活の練習はあった。何日かは見学に出かけたが、しかしろくに球拾いもできなかった。そして、レシーブ、トスと正確なボール使いを習得していく同級生を見ながらどんどん遅れをとる自分に焦りを感じた。


怪我から一ヶ月ほどで右手のギブスは石膏から金属板を使って包帯で巻くという簡素なものに変わった。7月に体育の水泳の授業を見学したこともあって、8月に補充授業に参加した。ギブスが外せることで無事にプールにも入れた。それでも、手のひらでまともに水をかくのは恐怖感を伴い、平泳ぎの時などは手のひらを水平にして水の抵抗を少なくして泳いだ。当然、推進力は落ちる。ところが、それでも友達よりもずいぶん速かった。手のひらでちゃんと水をかけるようになれば必ずもっと速くなることは明らかだった。

そういえば、骨折する直前には全校生徒による水泳大会があった。全生徒がクロールか平泳ぎを選択し、全員で運動会の徒競走のごとく25mを競うものだった。1レースでトップの泳者が決勝に進む。1年生はおよそ200人。男子はその半分。そしてクロールと平泳ぎで半分づつだったとすると、およそ50人づつ。そのうちの9人が決勝に進み、私もそのひとりだった。
決勝も25m、飛び込みとタッチのタイミングで順位など瞬く間に変わってしまう。飛び込んだら呼吸など気にしないで一気に水をかききる!そして私はタッチのタイミングが合わず3位に終わった。「最後のひとかきは余分だったよ〜!そのまま手を伸ばしていれば優勝だったのに!」と、応援してくれた級友たちに残念がられた。当の私ももの凄く残念だった・・・。
水泳ではやり残したことができてしまった気がした。

9月になって私はバレーボール部を退部した。職員室で顧問に告げ、その足で水泳部に入部した。学校内での私の存在場所が大きく変わった瞬間だった。生活を共にする仲間が変わる。それによって遊びも変わる。校内の派閥争いにも関わってくるほど重大な変化だった。

7月7日の骨折で、間違いなく私の人生は変わった。選んだ高校も違う。当時の友だちも、それ以降の友だちも全て違う。進む大学も違えば、就職する会社も違っていただろう。あえて人生のタラレバを言うなら、もし私の打球がサードライナーだったら・・・、もしあの日が雨だったら・・・、もし私がたとえ骨折してもバレーボールを諦めなかったら・・・。あるいは、もし右目の視力を失っていたら・・・。

あの日の出来事がなかったら、私は今ごろ当時の希望どおり建築家になっていたかもしれない。ギターやゴルフや、またはレンジローバーやポルシェに出会っていただろうか?現在、私を取り巻く全ての人たちが出会うことのない人たちになっていたかもしれないし、入社した会社の都合で全く別の土地で暮らしていたかもしれない。
今の環境に特に不満があるわけではないが、叶うものならパラレルワールドを観てみたいものだ。笑

そう思うと、これまでの全てが「今」に向って進んできた偶然。私がランドローバーに出会い、今、レイブリックがあることも。全ての偶然に感謝をしなければ!