CA391801夕方、仕事を早退し、高校時代のクラス会に出かけてきた。
不義理な私は卒業以来手紙を書いたことすらなかったが、担任は私にとって唯一の恩師と呼べるほど素晴らしい先生だった。卒業してから、早26年半が過ぎた。その間、先生には一度だけお会いできていたが、それでももう18年前のこと。
同級生とはいつまで経っても当時の感覚のまま。久しぶりに会う仲間でもじきに当時の馴れ合いに戻ることができた。
しかし、先生とはそうなれるまでに数十分掛かっただろうか。会が始まっても、先生はしばらくほぼ無言のままただ笑顔を見せているだけだった。やがて、同級生同士の思い出話が飛び交うなかで徐々に記憶を取り戻したかのごとく、急に方々の会話に参加してきた。その声を聞いたとたん、26年の時間が一瞬で巻き戻されたように感じた。懐かしい声の響きだ。
当時の我々はつくづく先生に苦労をかけた。しかし、どんなに厳しく叱られたときでも、先生の優しさは絶えず感じていたし、クラスの誰もが平等に愛されていることが実感できていた。先生の声を聞いたとたん、当時の記憶が更に鮮明に呼び戻された。

学校は共学だったが、文系理系の分類から我々のクラスは男子クラスだった。それゆえに妙にリラックスできていたが、ともすると秩序が保たれなくなるほどワイルドでもあった。誰がどんな悪さをしたとか、テストで誰が一番赤点が多かったとか、そんな取るに足らない笑い話は尽きることがない。
悪さが程度を超え、家庭謹慎処分や無期停学処分を課される生徒が相次ぎ、クラス全員がなかなか揃うことがない時期が続いた。卒業間際になってようやく全員が揃った朝の朝礼で「これでようやく全員だ!」と言ったときの先生の嬉しそうな顔は鮮明に記憶にある。
自分がこのクラスに居たからこそ、そして担任がこの先生であったからこそ現在の自分が居る。そのことはおそらく皆そう感じている。だからこそ、今日こうして集まることができたと思う。我々を現在に導いてくださったのは間違いなく先生である。そんな感謝の気持ちを今どれだけ言葉で表現しても決して足りることはない。仲間と語り、先生の声を聞き、笑顔を見ているだけで限られた時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

会の途中で再認識して驚いたことは、当時の先生は今の我々よりも若かったということ。先生は先生、我々は先生の前ではいつまでも子ども。自分が当時の先生の年齢を既に越えていたことに気がついた瞬間、再び先生の偉大さを感じずにはいられなかった。今の自分にあれだけの人格が備わっているだろうか。いや、まだまだ精神的な成長が追いついていない!今、そう教えてくださっているのもやはり先生の存在なのである。
誰からともなく、失礼を承知でこんな言葉が飛び交っていた。「先生が元気なうちにもう一度クラス会をやりましょう!」 皆、成長した自分を先生に見てほしいのだ。もちろん私もそう。

今夜は興奮がなかなか覚めず、眠れそうにない。とても素敵な夜だった。