CA3H0529数日まえにオートクラフトの新しいオフィスを紹介した。ここはレイブリックのオフィス。昨年10月の改装で出来た空間だ。店内のお客さまからも覗けばギリギリ見える位置にある。
このデスクの横幅は3.6メートル。デスクは、両横が1メートル、真ん中が1.6メートルで仕切られている。計算上、三人の営業スタッフが各々1メートルづつ使い、残りの60cmは三人で共用のデスクトップパソコンが配置される。中央に見えるものがそう。

このスペースを営業スタッフ三人が使うのはとりあえず今日が最後だった。神田スタッフが9月1日からオートクラフトに転籍するからだ。8月は明日がまだ一日あるが、神田スタッフは明日が移動日。早速あさってからオートクラフトに出社する。

この場を借りて、神田スタッフの紹介をしよう。
彼の前職はレイブリックが広告を掲載している雑誌の出版社の営業だった。転職してきたのは2005年の6月。その数ヶ月前、3月のある夜のこと。その夜、その出版社の編集長と私、そして神田の三人で渋谷で食事をした。
その雑談の中で、「いつかレイブリックも関東に・・」なんて話をした。もちろん、確かな計画にはなっておらず、ただ、夢とか希望とかといったレベル。
それから何日かして神田から電話が掛かってきた。いつか、関東にお店を出すときには、自分をスタッフの候補にしてほしいと。つまり売り込みだ。
その時か、次の機会だったかは忘れたが、私はこう答えた。
「レイブリックが関東に進出するときがきたなら!という受身の考えなら私はきっと君を招くことはないだろう。自分がレイブリックの関東店を出すんだという強い気持ちがあるならウチに来い!」と。
彼はスグに転職と単身赴任を決意した。そして不慣れな名古屋での一人暮らしが始まった。
あれから早5年。昨日のブログでも少し話したが、この5年の間には、安泰な経営状態といえない期間もあった。思い切って店内改装をしたが、それが精一杯で、正直なところ店舗展開など絶対に無理だった。
しかし、昨年の8月に締めた第13期には業績は復活し、それよりも復活に至るプロセスに私は充分な手応えを感じていた。この感触なら第14期もいける!
昨年の9月、つまり今期がスタートした時、私は神田に宣言した。「今期を乗り切ったら関東に行くぞ!」と。「今期を乗り切ったら」、このための指標を私は神田に対して課した。レイブリック横浜店に向けた本当の意味での第一歩だった。

今期はスタートから決して順調とはいえなかった。9月、10月、11月と、盛り上がりに欠けたまま時は流れた。空気が変わったのは11月の末から。空気が変わったというか、私自身が急に熱くなるのを感じた。その後の業績は、歯を食いしばりながらもなんとか順調に推移した。
4月、私は神田にある種の勝利宣言を出した。あと4ヶ月、ここまで来たからには、きっと達成できる数字だ。諦めさえしなければきっと出来る。彼も私も諦めるはずはない。つまり、達成できるということに他ならない。そういう意味での勝利宣言である。
それと並行して、オートクラフトとのジョイント案が浮上した。形はどうなれど、我々の関東行きは決まった!

本来なら、明日が終わった時点で最終的な結論を出すはずだった。それが3ヶ月前倒しになった。今期に課した課題を完全に締めくくる前に関東行きが決まったわけだが、決めた数字は必達しなければ意味がない。
6月、私がオートクラフトの代表に就任し、二重生活が始まった。それもかなり急な展開だった。たとえ半分とはいえ、私が急にレイブリックから居なくなることの準備は全くといってよいほど整っていなかった。そんな最中、今期最後の追い込み時期に入っていった。そしてスタッフは耐えた。全指標完全必達とはいかなかったものの、足りない部分は他で補うことができた。
神田自信としても、レイブリックとしても、次のステップに進む条件は揃ったと判断できた。

おとといと昨日、週末には神田を激励に来てくださるお客さまや、お別れの挨拶の電話がひっきりなしだった。9月1日からオートクラフトの店長に就く神田だが、彼をここまで成長させてくださったのは間違いなくお客さまである。
東京でもお客さまと新たな信頼関係を築き、オートクラフトの次世代を担うまでの成長を遂げられたなら、それが神田を育ててくださったレイブリックのお客さまへの最大のご恩返しになるだろう。
レイブッリックでの5年間、お疲れさまでした。

計画では、横浜店の準備は9月1日からスタートし、来年春のオープンを目指していた。この激動の数ヶ月は、関東出店を半年前倒しにしたことになる。あらゆる偶然を全てプラスの力に変えて前進するのみ!明日で締める第14期は、レイブリックにとってはまさに生まれ変わりの決算期である。