家に帰ると、ちょうど始まっていたテレビ番組にそのまま見入った。作家、道尾秀介さんのドキュメンタリーだ。先日直木賞を受賞され、その模様が伝えられていた。実は、今まさに道尾さんの作品を読んでいる最中だった。

半年ほど前だっただろうか、もしかしたら前回の直木賞にノミネートされた前後だったかもしれないが、その時もたまたま点いていたテレビで道尾さんがトーク番組に出演されていた。その時の彼の言葉が印象的で、それまで私は彼の作品を読んだことがなかったのだが、早速数冊の小説を購入したのだった。
その時の言葉は正確には覚えていないが、確かこんな内容だった。

小説は、文字だからこそ可能になる表現ができる。どんな演出の映画であろうと、そして最先端技術のCGを駆使したとしても、それでも文字ならそれ以上の表現が可能になると。

そう表現する作家の作品を是非読んでみようと思ったわけである。
もちろん、道尾さんに限らず、心を惹きつける物語を読めば、自然にその世界に引きずり込まれる。読んだ私の脳の中でひとつの映像となり、それは読者一人ひとりで異なる。
時々、同じ小説を読んだ人と、その感想を語り合うとき、例えばこれが映画化されたとしたらキャスティングは?なんて話にもなる。そんなときには、やはり選ばれる俳優は読者によって異なる。更に、どんな俳優であっても自分が抱いた主人公のイメージに当てはまらないこともある。これも、道尾さんのいう、「どうやたって映像にはできない」ということの一例だと思う。

今日のドキュメンタリーでは、道尾さんの仕事場が紹介された。キレイに整頓された13畳のフローリングの部屋。私の品川のマンションも13畳だが、そのオーラは比べるまでもない・・。
道尾さんのデスクには「鬼手仏心」と書かれた短冊が置かれていた。ここにこの文字を置く意味をリポーターから聞かれ、さまざまの作品のテーマは「救い」なのだと答えていた気がする。究極の優しさという単純な言葉で片付けてはいけないほどの奥深い意味を持つように感じてならない。


日々、こうしてブログを書いているのだが、ブログは出来事をできるだけ忠実に表現するために、その言葉を私の乏しいボキャブラリーの中から選んで並べているだけである。作家の想像力、空想力というべきだろうか、たとえ出来事の羅列であったとしても、そこにストーリーを持たせてしまう才能は改めて素晴らしいと思った。
東京と名古屋を往復する新幹線の中は、私の至福の読書タイムである。これからも素敵な作家とその作品に出会えますように。