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今日は月曜日、オートクラフトの定休日。早朝、モノレールで羽田空港に向かった。向かった先は鹿児島。人生初の鹿児島である。

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目的地は「知覧特攻平和会館」。この館内は写真撮影禁止。かといって、すみません、私などがその内容を適切に文章で解説するなど、とてもできない。それでも、記憶が薄れないうちに、可能な限り書き留めておこうと思う。

「英霊コーナー」には、何百人もの特攻隊員の写真と遺書が掲げられている。そして、隊員のご遺族が訪れた場合などには、きっと館の係りの方に申し出るのだろう。ご遺族が判明した場合や、出身地など、新たに分かった情報が記された付箋紙がそれぞれの隊員の写真の隅に貼り付けられていた。まだ、戦後は続いているのだ。
遺書の文字は皆とても美しく、力強い。幸いだったのは、達筆ゆえに私には解読できないものが多かったこと。もし、全ての遺書がすらすら読めたならきっと辛すぎて居たたまれなかっただろう。

遺書以外でも生々しい文書が数多く展示されていた。「と號部隊戰闘要領」という、いわゆる「特攻マニュアル」があった。特攻の心構えから始まり、突撃の進入角度などの技術的なことまでこと細かく書かれていた。
その中で記憶に残った文字を。曖昧だが・・。

【突撃直前】
人生二十五年 最後ノ力ダ
神力ヲ出セ

【突撃時】
目ヲツムルナ 目標ガブレル


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館の外には、三角兵舎と呼ばれる宿舎が復元されている。数日後、数時間後には出撃する兵士のための場所。

14才ごろから飛行訓練を始め、19才ぐらいから出撃。遺書の多くは両親に宛てるもの。凄まじい時代だったことが、ここ平和会館からは手に取るように分かる。うまく纏められないが、とにかく、真剣に生きようと強く感じた。仕事も遊びも、今日も明日も。


今夜の宿は鹿児島県の指宿温泉。
夕食では黒豚のしゃぶしゃぶをいただき、砂蒸し風呂も体験した。何をしていても、平和会館で見た、多くの漢字とカタカナの文字列が頭から離れない。というか、忘れるつもりはない。そのためにココに来たのだから。