「脆弱」、最近は頻繁に聞くようになった。もっぱら、インターネット上のセキュリティーの脆さにこの表現が使われている。なので、インターネットがここまで普及するまでは、世間で飛び交う単語ではなかったように私には感じる。というか、私自身、耳にすることがなかった。
今日、読んでいた小説にこの言葉が出ていた。「脆弱な仮説は、あっと言う間に崩れた」というふうに。上手な使い方だと思った。
「脆弱」という単語、私はインターネットが普及するその少し前に知った。1995年のことである。覚えた単語ひとつと西暦と私の歴史を結びつけるなど、まあどうでもよいことなのだが、とにかくそれが1995年という確かな記憶があるというだけである。

1995年、私が転職し、ローバーのディーラーのサービス工場に赴任した年である。そこで出会った代表的なクルマのひとつ、Mini。セールススタッフが、「やめておいたほうがいいですよ、あたなには維持は無理です。」と、口で言わなくとも暗にそう訴えかけながら商談を進めるケースも実際にあった。「きっと、あなたが想像している以上のトラブルが起きると思いますが、心構えは大丈夫ですか?」という風に。
逆に、こんなこともあった。若い、おそらく20代前半の女性がMiniを買いにこられた。例によってMiniに対する注意事項に触れると、「分かってます。大丈夫です!」と、力強い返事が返ってきた。「父に『Miniを買いたい』と相談したら、『甘い!』と怒鳴られました。『イギリス車のこと、ちゃんと理解しているのか?!』って。それで、私、ずいぶんMiniについて勉強しました。グリスガンが必要だって分かって、それでちゃんと用意しました。」と。
グリスガンとは、サスペンションのボールジョイントにグリスを注すための専用工具である。ある程度の知識と工具の準備を済ませ、ようやく父親からの許可をもらったのだと。

当時のMiniとは、まあそんなクルマで、いろいろ起きるトラブルも苦労も全部ひっくるめて生活の一部として楽しむような、一種の家族のような感覚だときっとうまくいくクルマだと感じていた。「お父さん、犬を飼いたいんだけと」「思ったよりも大変だぞ、覚悟がいるぞ!」という感覚に近いかな。実際に、私もMiniのある生活を何年か過ごしたが、ツーリングの朝に燃料が漏れてスタートできなかった日もあったし、友人のMiniは、街中で渋滞にハマルとオーバーヒートするので、裏通りをグルグル回って冷やしてからまた元の渋滞に戻ってきたりして夏を凌いでいた。あらゆることを大目に見ることが必要で、乗り手がMiniを労わってやらなきゃいけないときもある。私が乗っていたMiniは中古で買うときにクーラーがついていないものを選んだ。当時のMiniにクーラーは負担とされていて、それなら暑さを私が我慢すればよいことであった。


話を1995年の「脆弱」に戻すと、入庫した中古車のMiniの車検証入れの中から、Miniについての注意書きのコピーが出てきた。コーピーが何度か繰り返され、文字は歪んでいた。二つに折りたたまれたコピーは印刷面が張り付いて、パリパリと捲ると更に読み難くなった。原本はメーカーによって印刷されたものであったような、確かではないが、そんな記憶がある。

その項目のひとつに、こう書かれてあった。
・燃料タンクキャップは脆弱です。

「おい、なんて読むんだよ!だいたい意味は分かるけどな」。仲間とそんな会話をし、誰かが辞典で調べ、「ぜいじゃく」と読むことが分かった。
輸入車に関する文献には時々あることだが、翻訳する人の表現によっては、普段我々が使わないような言い回しになることがある。ワークショップマニュアル(修理解説書)などもそうだった。かろうじて日本語になっているだけでラッキー、そんな文章も珍しくなかった。
「脆弱な燃料タンクキャップ」、この表現も、そんな事情の表れではないかと私は思った。


私は今日までに三種類の「脆弱」に触れた。コンピューターセキュリティーの脆弱、村上春樹の小説に出てくる脆弱、そしてMiniの燃料タンクキャップの脆弱。

今日は「脆弱」という単語について引っ張ってみました。



曲にしよう。
「脆」を訓読みで「もろ・い」と読めば、そんな歌詞の曲は珍しくない。
浜田省吾さんの「A NEW STYLE WAR」では、「愛は時にあまりに脆く・・・」と唄われている。櫻井さんも「to U」で同じように「愛」を表現している。「愛、それは強くて だけど脆くて」。
今夜は、Bank Bandで「to U」。