Fecebookでの友達が岐阜の修行寺「正眼寺」を取り上げていた。今日は私の正眼寺体験修行記を。

正眼寺を訪れたのはちょうど25年前のこと。
大学を卒業して就職した会社の新入社員研修で、ココで修行を「サセラレタ」。3泊だったか4泊だったか記憶がないが、きっと人間の脳のシステムはそんなふうに辛かったことの記憶をボケさせる機能があるのだろう・・。
それがどんな修行だったのか、今日は微かな記憶を呼び起こして書いてみます。

現在では珍しいかもしれないが、その年、私が入社した会社の入社式は3月8日ごろだった。すぐに座学の研修が始まった。社会とは、組織とは、会社とは、そんなイデオロギーを植えつけられるための期間だったと理解している。
そんな講習がたっぷり2週間ほど続き、その後は仕事現場に即した内容の研修が数週間あった。現場、その会社の場合は営業所に配属されるのは4月末ごろだった。その配属の直前に、新入社員導入教育の総仕上げの意味で岐阜県の修行寺「正眼寺」に送り込まれたのだった。

召集されたのは男子の営業職、100人ぐらいだったと思う。朝、名古屋市内の本社に集合。バスでおよそ1時間の岐阜県の山間に正眼寺はあった。4月中旬の雨の日で肌寒い朝だった。到着するとすぐに本堂に通された。畳が冷たかった。リーダー格の僧侶がやってきて、最初に靴下を脱ぐように言い渡された。境内は裸足で過ごすようにと。寒かった・・。そして間髪入れずに「座」。その時点ではおそらく正座だったと思う。正座をして境内で過ごすうえでの注意や心構えなどを聞いた。何十分も・・・。寒い、痺れて感覚がなくなる、しかし足首が痛い・・・。これが、あと何日続くのか、冗談じゃなく気が遠くなった。

ここで、正眼寺での一日の大まかなスケジュールを。朝は5時起床だったと思う。

(起床)→(読経)→(朝食)→ (座禅)→(昼食)→(座禅)→(説教)→(作務※)→(風呂)→(夕食)→(座禅)→(就寝)
※作務、「さむ」と呼ぶ。境内の掃除など、奉公作業のこと。
(順番はきっと正しくないですか、こんな感じで座禅ばかりだったということをお伝えしたいのです。)

私は股関節や足首などが固く、座禅や正座はとても辛かった。しかし、耐えることが目的の体験修行なのだから、痛くても痺れても脱落することは許されない。座禅の1ラウンドは、1時間から2時間ほどだったと思う。適当に20〜30分に分け、途中で数回5分程度の休憩が入って足を伸ばせるのだが、監督役の僧侶によっては休憩までがとんでもなく長いこともあった。そりゃそうだ、彼らは何日間も座り続けることができるので、たった数十分など屁でもない。監督役の僧侶は、皆が見渡せる位置、いわゆる誕生席に座って座禅を組み、適当な時間になると脇に置かれた大きな鐘をキーンと鳴らして終了の合図を出す。授業の開始や終了のベルのようなものだ。
座禅中は目は閉じず、目線は斜め下、自分の2メートルほど前に置く。警策(背中を叩く棒)を持った僧侶がその視界の中を通っていく。身体が動いていたりすると、つまり心が乱れていることが分かると僧侶が自分の前に立ち止まり、正対する。叩かれる合図である。叩かれる者は身体を前に倒し、背中を丸めてうつ伏になる。。僧侶は肩越しに警策を背中に沿え、ココを叩くぞ!という仕草をとる。そしてパンッパンッとわざと音がするように叩く。叩かれたあとは身体を起こし、僧侶と向かい合って共に合掌をし、そして静かに座禅に戻る。
座禅の途中で痺れや痛みでどうしても一度足を解きたいときは、あらかじめ合掌をして僧侶が通るのを待つ。そうやって自ら警策を与えてもらって、一度足を崩して姿勢を作りかえることを許してもらうこともできる。

(とっても長くなってしまったので、続きは明日また)

shogenji