今日の東京の最高気温は36℃。いつもならその気温を感じさせないような海風が吹くオートクラフトだが、なんだか今年は異常に蒸し暑い。まるで名古屋の暑さだ!
ところが、今日の名古屋はなんと38℃!やはり名古屋の暑さは半端じゃない。レイブリックのスタッフの体調も心配になる・・・。

レンジローバーそんな暑さに触発されたわけではないだろうが、永年レイブリックのデモカーを務め、2年前からオートクラフトの神田店長にマイカーとして引き継がれたボナティー号が悲鳴をあげた・・・。ブレーキ操作に違和感が出てきたのだが、その原因はどうやらABSユニットのようだ。そこに不具合があると分かったからには、これ以上走行するのは控えるしかない。修理はABSユニットをアッセンブリで交換することになるだろうが、非常に高額なパーツだけに神田が修理をためらうのは無理もない・・・。程度の良い中古パーツが出るのを待つか、それともこれを機会にボナティー号に乗ることを諦めるか。今日、即座に結論を出すのはあまりにも難しい問題だ。

神田はボナティ号の今後を課題に残して先ほど家路についた。そして今、私は私なりにボナティー号のことを考えている。というか、当時を思い出している。
ボナティー号がレイブリックにやってくる前のオーナーは中野さん(仮名)という方だった。1996年、レイブリックは多くの方に支援していただいて誕生したのだが、開業直後の苦しい時期を中野さんにもずいぶん助けていただいた。当時の中野さんはクラシック・レンジローバーのオーナーだったが、ご祝儀がわりにと多くの仕事をくれた。そうやって売上げを助けてくれるだけでなく、不安だらけの私を精神的にも救ってくれた。中野さんはメカニックとして私が手掛けるメンテナスやカスタムをとても歓んでくれた。私の技術などまったく未熟なものなのだが、どういう訳だか中野さんのレンジローバーに対してはツボにはまったように成果が出た。そんなことの積み重ねが、私には大きな自信となっていったのだ。
数ヵ月後、中野さんはクラシック・レンジローバーからナイアガラグレーの2ndレンジローバーへ買い替えてくださった。それがやがてレイブリックに戻ってきてボナティー号として生まれ変わるのだ。

ボナティ号の生い立ちを話し始めるときっと長くなる。というか、思いが強すぎてとても手短かには話せない。今日はプロローグだけにしておいて、また機会がおれば続きをお話しよう。