BONATTI プロローグより)

1996年のレイブリック開業当時、私は31歳だった。元レイブリックのデモカーのボナティー号、その前オーナーである中野さんは、年齢はおそらく私より二周りは上だったと思う。息子の年齢ほどの私に対しても、中野さんはいつも穏やかな表情と共にとても丁寧に接してくれた。親子の年ほど離れていたので余計にかわいがってくれたのかもしれない。

こんなエピソードがある。確かその時はエンジンの調子に関係するメンテナンスを行なった。完成後、お店でお引渡しをし、しばらくすると中野さんから電話が掛かってきた。ちょうどご自宅に到着した頃である。乗って帰る途中で何か不具合でも出たのか?私が電話に出ると、「ああ、加藤さん、先ほどはどうも。」と相変わらず穏やかな口調。どうかされたのかと訊ねると、「今回はどんな作業をしたのかと思って」と。いよいよ心配になった。行なった作業の内容を詳しく説明し、それで何か不都合があるのかと聞くと、「いやあ、加藤さん、やけに調子がいいぞ!走りの良さに驚いたよ」と。驚いたのは私のほうですよ。汗
とにかく、良いときも悪いときもそんなふうにきちんと報告をしてくださる方だった。 

1990年、中野さんはレンジローバーが日本に正規輸入されると同時にオーダーし、国内では最も早い時期からレンジローバーに乗られていた一人だと聞いている。レンジローバーへの思いは、長く、そして深い。私が知る範囲では最も強くレンジローバーを愛した方である。私はメカニックの立場でレンジローバーに携わる上で、中野さんに歓んでいただけることを続けていればきっと間違いないと信じていた。

続く

レンジローバー