第二章 憧憬より)

中野さん(仮名)はある会社の重役さんだった。毎日ご自宅から高速道路を使って出社されるのだが、ご自宅と会社の両方に屋根付きの車庫があった。いずれもトタン張りのシンプルな車庫だが、それでも直射日光や風雨から守られることでクルマのコンディション維持には大きく貢献する。高速走行と車庫保管の繰り返し、レンジローバーに相応しい使用環境だったと言えるだろう。
中野さんはメンテナンスには妥協はなかった。例えばショックアブソーバーの交換作業でレンジローバーをお預かりした場合、完成後には「リフトで上げたときに、どこか別に悪いところは見つからなかったですか?」と聞いてくることは当たり前だった。なので、必ず周辺にも目を配らせた。そして見つかった不具合を先送りすることは決してしなかった。

そんなふうに平穏なお付き合いを何年も続けさせていただいたのだが、2002年の11月のこと、始めて異変が起きた。来月に迫った車検の予定を組もうと、私は中野さんに電話を掛けた。しかし、いつになく歯切れが悪い。少し機嫌も悪いようで、これまでのように話が噛み合わない。何かが原因で怒られているようにも感じたが、そうなってしまうような心当たりもなく、実際のところどう対処してよいのか分からなかった。しばらく体調を崩して自宅療養をしていたとも仰っていたのでそれが原因なのかとも感じたが、ざわついた心lはなかなか収まらなかった。「改めてこちらから連絡する」と言って電話を切られた。
そのまま車検は切れ、不穏なまま年が明けた。

続く

レンジローバー