昨日、社内のインターネット無線LANが繋がらないことに気が付いた。社内のほとんどの機器は有線で繋がれているので業務には大きくは支障はないが、私はスマホやタブレットを使う機会も多く、Wi-Fiが繋がらないとやはり不都合もある。
私のスマホはAndroid。Googleの多くの機能を使っているのだが、特に私が便利につかっているのはGoogleフォト。外でスマホやタブレットで写真を撮り、社内に戻ってくると、そこで自然にWi-Fiに繋がる。すると勝手に同期してくれるので、デスクについてパソコンを立ち上げればさっき撮った写真が既にそこにある、という具合い。
Wi-Fiが繋がらなくてもデータ通信によってカバーはできるのだが、一手間余分に掛かるし、スマホのデータ通信制限も気になってくる。
不具合の原因はどうやらWi-Fiルーターにあるようなので、解決には時間は掛からないだろう。それにしても、自分がすっかりWi-Fi環境に慣れてしまっていることを再認識させられた。
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最近、東野圭吾さんの「パラドックス13」というSF小説を読んだ。ある時突然、街から人が消えてしまうところから始まる。ほんの十数人だけを残して。舞台は東京。更に、地震や嵐に襲われ、東京の街が崩壊していく。警察も消防も人がいないから全く機能しない。水や電気や通信などのライフラインを復旧する人もいない。物流もない。コンビニやホテル内に残っている食料で食いつなぐのだがやがて限界はくる。何気なく暮らしているこの環境から突然「当たり前」の事が消えたら、そんな状況下での人間模様が綴られた小説だった。

今回、私の身に降りかかったのはたかがWi-Fiの切断だが、もうあとひとつふたつのものが寸断されたらきっとそれだけで大騒動だろう。もしもそういう不安定な要素に頼らない生活ができたなら、もしかしたらそれは最高に贅沢な環境なのではないかと、そんな非現実的なことを考えてしまったわけである。