5年前、私は東京都港区で東日本大震災を経験した。そこは高層ビルに囲まれた場所で、頭上には新幹線やモノレール、首都高速の高架が走っていた。それらは模型のように大きく揺れ、もの凄い音を立てていた。電柱は弓のようにしなり、掛かっている電線は縄跳びの縄のように振り回されていた。首都高の上で停まっているトラックは左右に揺らされながら、やがてガードレールを乗り越えて落ちてしまうのではないかと思えるほどだった。
恐ろしかったのは、その揺れがとても長く続いたこと。頑張っている構造物もこのまま揺れ続けたらきっと崩れ始めてしまうだろうと思った。だからどうか早く収まってくれ、と。私は建物から舗道に出て、頭上で大きく揺れる建物を見上げながら、「倒れないでくれ、倒れないでくれ」、自分も両足を踏ん張りながらそう願い続けた。一旦は収まるが、何度も余震が繰り返された。道路のマンホールから水が噴き出し、あたりは水浸しになった。液状化の始まりなのか、津波の影響なのか分からないが、普段ではあり得ない現象に恐怖が押し寄せてきた。しばらくすると湾の向こう側のお台場から火災が起き、煙が濛々とあがるのが見えた。とうとう崩れ始めたか・・・。お願い、もうこれぐらいにしてくれ、なす術もなくそう祈るしかなかった。
そんな恐ろしい時間が続きながら、同時に、どうかこの地震の震源がこの近くであってほしいと願った。ここならなんとかこれぐらいで耐えられている。都心は大きく揺れているとはいえ、耐震工事が進んでいることで守られている部分もある。震源が別の場所で、これ以上の揺れがあったとしたなら、被害はきっとこんなものじゃ済まないだろう。しかし現実はその思いとは裏腹で、震源は数百キロ離れた東北地方だった。
多くのものを失った方々に比べれば、私が経験した恐怖や不安など取るに足らないこと。しかし、私にとってはこれからもきっと忘れることはない出来事。震災の夜、余震で何度も目が覚めた。あれ以来、未だに眠りが浅い。
あれから5年が経った。復興が進むニュースと、未だに進まないニュースとが届く。あの年の夏、私は八戸と石巻を訪れた。瓦礫の中に住宅の基礎だけが並ぶ街を見た。周囲は生臭かった。墓地から流れた墓石がそこいらに転がっていた。工場建物の太い鉄骨は水飴のように奇妙に曲がっていた。まだそれらのほとんどが手付かずだった。
今年、もう一度東北に行ってみようかな。