一年間大学浪人をしていた長男だが、この春、目指していた大学に合格することができた。今日は、初詣で合格祈願をした神社に、息子とお礼参りに出掛けてきた。
現役の受験ではコテンパンにやられた。しかし、本人はそれほど落ち込んでいなかった。・・・ように見えた。それは、きっと落ち込むほど努力をしていなかったから。それでも受かった大学もあった。もちろん受かれば入学するつもりで受験をした。しかし、締め切り直前で入学辞退を決めた。一応目標としていた学校はあったが、落ちて元々のレベルの準備で望んだ受験だった。そんな状態で受かった滑り止め校に進もうとしている自分が情けないと感じたようだ。

ちょうど去年の今頃のことだった。普段は友達のように接してくる長男だが、その時は妙にかしこまって、「予備校に通わせてください」と言うのだ。高校に入ってから三年間遊び呆けていたお前が、一年間勉強漬けの生活に耐えられるのか?何度も念を押した。ところが「このままでは悔いが残りすぎる。やればもっとできたはずだと、これからずっとそう思い続けて生きていきなくない。」と、その決意は固そうだ。「たくさんの学校を受けさせてもらって、受験料もいっぱい払ってもらって本当に申し訳ないけど、どうかお願いします。浪人させてください」と。

私の大学受験はまさに長男の現役受験と同じだった。努力もせず、いくつかの学校を受験し、ギリギリ受かったところへそのまま進学した。あの時の思いを、世代を超えて息子は克服しようとしている。舐めたカタチで受験をし、予想通り問題は解けず、不合格通知が次々と届くことで息子は進化の道を見つけたような、そんな気がした。私自身が怠けてやらなかったことに息子はチャレンジしようとしている。私は浪人を応援することにした。

そして一年が経った。正月には何時間もかけてたどり着く拝殿も、平日の今日は貸切。ゆっくりとお辞儀をし、ゆっくりと手を合わせてお礼を告げた。合格発表は先週だったが、今日こうしてお礼参りを終えたことでようやくこの一年が完結したような気分になれた。
そして新たなスタート。大学での学業のほか、自動車免許をとってもうじき運転もするようになる。今日は合格祈願のお守りを返した代わりに、交通安全のお守りを買ってきたのだった。
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