「○○証券ですが、社長様いらしゃいますか?」そんな営業の電話は頻繁にある。そのほとんどの場合は電話を取ったスタッフのところでストップする。私に取り次ぐ必要がないことが分かっているから。私はこれまで株やファンドに興味を持ったことがないし、投資をしたこともない。私がそんな電話をとった場合には、そのようにしっかり伝えて言って電話を切る。
銀行も融資による利息収益の本業以外に、ファンドなど投資商品も取り扱っており、レイブリックの取引銀行も証券会社と同じようにそれらの商品を勧めてくることがある。もちろん私の答えは同じ。今日もある銀行さんとそんな会話があった。年を重ねたり、自由に使えるお金が少し増えたとしても、今のところ私の気持ちに変化は訪れていない。

では、なぜ私は投資商品に興味が沸かないのだろう?もしもそれらを上手く活用できたら小遣いが増えるかもしれないのに。投資商品に興味がないことの理由を改めて考えてみた。それはきっと私が育った環境が最大の要因だと思う。

幼い頃、私の家は兼業農家だった。ちょうど家族が一年間食べられる分の米を作れるだけの田んぼがあった。そこでできた米は、ドラム缶をもうふた回りほど大きくしたような貯蔵缶に貯められ、一年間かけて家族で消費をしていくのだ。
そこに投資を当てはめるなら、例えば一定量の米をを何かに委ね、それが増えるかもしれないし失うかもしれない、ということ。仮にも損失が出た場合、一年の後半で家族のための米が足りなくなってしまう。それはあり得ない。では、仮にその年は不作で、そもそも米の量に余裕がなかったら。いや、実際にには一度もそんなことはなかったが、仮にもそんな年があった場合に加藤家はどうしていただろう?豊作時と同じような食生活ができるよう、そんな時こそ賭けに出るか?いや、出ないと思う。毎日毎日、少しづつ消費量を減らし、上手に一年間もたせるように調整したと思う。あるいは、米以外の、例えば野菜などで食料の絶対量を補うことを考えただろう。私がその時代の加藤家の主だったとしたら、きっと家族会議でそう決めたと思う。
逆にその年は豊作でたくさんの作物が穫れたとしても、その分は無駄に消費はしない。もしかしたら翌年突然の不作に見舞われるかもしれない。そんな時のために蓄えておくことを真っ先に考える。
土と水と太陽、そういった自然の恵みの下で自分たちが消費する分だけのために種や苗をじっくりじっくり育てていく。一攫千金などほど遠い世界。作物を売ってお金に換えるほどの収穫量があるわけではないので商業的な農業とも少し違う。家族総出で田植えや稲刈りをした田んぼや、毎日日の出と共に畑に出かける祖母の姿を見ながら私は育った。私を形成した全ての源がそこにあるのだと思う。

証券会社の営業さんが今日のブログを読んだなら、もう諦めて私に電話を掛けることもなくなるかな。(笑)