毎週土曜日の朝は、辛坊治郎さんがキャスターを務める情報番組を見ながら朝食をとる。今日の特集はいう間でもなく「3.11」。東日本大震災から今日でちょうど6年が経った。

子どもの頃から「東海地震、東南海地震」という言葉をよく聞いた。近い将来、この土地は必ず大地震に見舞われる。そう言われていた。地元だから余計にそう感じていたのかもしれないが、日本の中で最も警戒が必要な地域であるかのごとく騒がれていたような気がする。小さな地震が起きただけで「ほら来た!」と緊張感が走ったものだ。しかし、この土地では災害と呼ばれるような大地震は未だに起きていない。
1995年1月、阪神淡路大震災が起きた。東海地方もかなり揺れた。それでも建物が倒壊するには程遠いレベルだった。関西の直下で起きた大震災、東海地震ばかり気にしていて私にとっては、いやきっと多くの人にとっても阪神淡路の地震はノーマークだったと思う。
その後、中越や、そして東日本、更には熊本。東海は来る来るといって全然来ない。全国各地で頻発する地震によって大きな歪は小出しにされ、実は東海地震は起きないのではないか、そんなふうに考える人もいるほど。東海地方でも太平洋沿岸部の地域の人は、やはり津波の心配もあって楽観視をしているようには見えない。しかし、私の住む地域のように津波の心配がない土地の人は、私も例外ではなく完全に油断しているように思える。

6年前、私は東京に居る時に東日本大震災を経験した。東北の地域の方とは比べものにならないことは十分に分かっているが、それでもかなり、いや本当に恐ろしい思いをした。震災後も、そこに住むことに対しても、そこで仕事を続けることも、先が見えない心配やら恐怖やらで睡眠不足が慢性化していった。
言ってみればたったそれだけの経験ではあったが、遭いたくない経験であることは事実だけど、遭っておいてよかったと思える大事な経験だったと思う。

今朝の情報番組では、辛坊キャスターが南三陸を訪れたシーンが放送されていた。辛坊キャスターが震災後初めて東北を訪れたのは震災から2か月後の5月のことだった。甚大な被害を受けた南三陸町を訪れ、町長に「私たちで何かできることがあれば」と問いかけると、町長はこう即答した。「風化させない努力をしてください」と。これから復興へと向かおうとする最中、キャスターである辛坊さんにしてほしいことは、救助や救援を願うことでもなく、またそれらを呼びかけることでもなかった。辛坊さんの立場を以って、どうかこの惨状を風化させないこと、その努力を続けることをしてほしいと。
その想いの、私は何分の一かではあるが、とてもよく理解できると思った。私も、自分が感じたあの恐怖は6年経った今でも忘れていない。しかし、あの恐怖を感じていない人にとっては情報が少なるなるごとに記憶も薄れていくもの。そう、私が阪神淡路や中越の地震の恐怖を覚えていないのと同じ。阪神淡路はたまたま私の始めての転職の年だったので、それが1995年1月であることぐらいは覚えている。しかし、中越や新潟のことは、あれ、えーと、いいう感じ。風化である・・・。

南三陸を含め、東北はまだまだ復興の途上。忘れ去られていい場所であるはずはない。去年「今年は久しぶりに東北を訪れてみよう」と思った。しかし、実現させられなかった。今年こそ、行きたいというより、行かなきゃ!と、そんなふうに思う。
大震災の4ヶ月後の7月に私は石巻を訪れた。全てが流されてしまった街の姿は衝撃だった。それよりもそのとき嗅いだ強烈な臭いも忘れていない。さすがにあの臭いは今もうしていないと思うが。それでもきっともう一度あの場所に立てば臭いの記憶も再び鮮明なものになる気がする。行っておこう。私自身の中で風化させないために。